それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

高3時代。進路をめぐる話し合い

米粒です!


引き続き、自律神経失調症で悩んでいた10年前の出来事を書いていきます。


前記事はコチラ↓


https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/10/19/020733


では行こう!


11月1日の模試を途中で帰ってしまった。

途中なので試験結果は出らんし親父には怒られるわで

散々な気持ちだった。

その日の夜、母親と2時間程徹底的に話し

俺は大学受験を辞めて専門学校の進学を決意した。


問題は担任と親父なのだが‥。


・進路変更

11月2日月曜日、担任と話し合おうと思い昼休みの時間を見計らい登校した。

んで職員室におった担任に

「先生、俺‥やっぱり4月に話していたように専門に行きたいです。目標する大学もいい大学だとは思いますが、自分の人生なんで‥」

と恐る恐る話す。

担任は俺の話をじっと目を見て聞いてくれた後に

「いいよ。」

と言ってくれた。

大学受験組の邪魔をしないことと、辞めたからと言って投げやりにならないことを条件として出されたけど

そこは問題なくパス。

家に帰り、母親に話したら「良かったやない。そのかわり専門でも頑張らないかんよ!」

と嬉しそうな声だったのが記憶に残ってる。

その日は親父が仕事でいなかったので、次の日の夜に親父とは話し合いをすることにした。


・進路をめぐる喧嘩

11月3日、この日は祝日やったから学校は休みで夜まではのんびりしてた。

親父にどう話を切り出そうか‥

横の席で何も言わずに晩御飯を食べている親父に切り出し方が分からず、食事の時は話せんかった。

やけどいつかは話さないかん。

親父の部屋の前に立ち、「何を言われるだろう」

と考えながら5分くらいうろうろした。


埒があかないので出たとこ勝負と思い、親父の部屋をノックして開ける。


部屋では親父がコーヒーを片手にパソコンを見ていた。

「おう、米粒。体調はどうや?」

とこちらにあまり顔を合わせず聞いてきた。


「うん、おとといの体調不良は良くなったけど

まだ微妙ってとこかな。


てか担任とももう話したけど、進路のことでね‥」


このころから、親父とサシで話すときの空気が大嫌いになった。

今すぐ出て行きたくなるほどの重い空気が部屋を包む。


「進路っつったって、模試もまともに受けれんやつは大学は無理よ」

と親父は吐き捨てる。


「うん、大学受験はしない」


そう言った瞬間、ほとんど俺を見ずに話していた親父が俺のほうをにらみ、目つきが鋭くなった。


「どういうことや?」


「俺はおしゃれとかめっちゃ好きやし、大学受験は辞めて美容学校に行こうと前から思ってた」


「なんやそれ!初めて聞いたぞ!何でそんな大事なことを言わんのか!」


高2のときから美容学校に行きたいとは思っていた。


しかし俺には姉が居て

姉は難関大に行ける学力があったにも関わらずやりたいことがあるといって専門学校に行き、あまり資格もとらずに卒業して高卒でもつける会社に就職した。


だから親父にとって「大学」が全てであり、専門はろくなところではないという考えだったらしい。


その話を聞いていたので切り出せなかった。


だけど、姉は専門に行ったことを後悔していなかった。

そして一度の人生だし、迷惑はかかるかもしれないけど自分のやりたい進路に行きたいという気持ちが強かった俺は必死で親父に食ってかかった。


しかし親父の考えは変わることがなかった。

親父にとって当時18歳の俺は、ただ勉強が嫌になっただけだと思ったそうだ。


「絶対に認めんけんな!」

と俺を怒鳴り、隣の部屋にいた母親が

「まあ今日のところはお父さんもあんまり言わんであげて。」とクッションに入ってくれた。


かくして、進路変更の報告初日は最悪の形で迎えることになった。


また次の記事で!