それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

自暴自棄になった18歳の秋。

米粒です!

前回は記事の内容が違いましたが

今回は高校生のときに自律神経失調症になった話の続きをしようと思います


今、学生で自律神経失調症になっている人またはその家族の方、知り合いにいる方などに特に見て欲しい内容となっております。


ではいこう!


2009年11月3日、ちょうど10年前の今日。

俺は進路をめぐって親父から猛反対された。


俺は大学で学ぶ内容にやりたいことがなかったというだけで、勉強が嫌だったから辞めたということでは決してない。


しかし父親からは、

「もう勉強したくないのか!」

と怒られた。


たしかに親からすれば突拍子もなく進路変更をしたら驚くし、「何言っているんだ」ともなるだろう。


しかし当時18歳の俺は若く、

「なんでわかってくれないんだ、無理解だな」と思ってしまっていた。


それから次の日、起きても相変わらずの体調不良で昼休みくらいから学校行くかと思ったが結局丸一日休んでしまった。


頭の中はひたすら反対してくる父親への憎しみでいっぱいだった。


・11月8日の日曜日。

専門行きを反対されてから休んだり遅れて学校に行く日々を繰り返していた俺は、

「平日に学校に行かなければいけない」

という脅迫観念にかられていた。


それが解放される土日は最高だった。


同じ中学で高校は別になった地元の友達が

「米粒最近学校あんま行ってないみたいだけど大丈夫?」

と心配のメールをくれた。


そしてやりとりを繰り返しているうちに

「今度の日曜日、友達3人でカラオケいこうぜ!」とお誘いメールが来た。


そういえば9月に体調を崩して以来、休日もずっと病院だったから遊んでいなかった。


この地元の友達だったら素でいられるので、体調に一抹の不安はあったものの嬉しくて速攻でオッケーした。


日曜日、俺が待ち合わせのスーパーの駐輪場に着いたときに既に友達二人は来ていた。

待ち合わせ時間より前だったのに「おせえよw」

とツッコまれた。


遊びの内容はいつもだいたい同じで、

カラオケ、ボーリングまたは街に出かけたあと

友達の一人の家で遅くまでダベるというのがお決まりだった。


久々の遊びということでバカみたいにカラオケではしゃぎ、笑いあった。

この楽しさが永遠に続けばなあと思っていた。



・初めて学校が嫌になった

夜ご飯を友達の家でご馳走になり、恋愛や下ネタトークで夜まで盛り上がった。


ふと友達が

「明日から学校、行きたくねー」

と口にした。


そのときに俺は我に帰ったようにハッとして

いつもの重苦しい学校の閉鎖空間を想像してしまった。


正直、アウェイなクラスに入った4月、

そして男子にハブられた夏休み。

メールしなくなって気まずくなった高嶺の花子さん。

クラスに居場所が無く、1秒でも早く出たかった。


友達の家を出て家に帰るまでに気分はかなり落ち込んでしまった。


受験やクラスになじめないなどで悩んでいる人は山ほどいる。

しかし俺は当時、

「なんで俺だけこんなしんどい目に遭わなきゃいけないんだろう」

て思ってしまっていた。


小中高と学校が好きで体調を崩すまでほぼ皆勤だった俺が初めて学校に行きたくないと思った瞬間でもあった。


そして11月も遅れながら、たまに休みながら学校に通っていた。


今だったら辞めて別のところに行けば良かったと思うだろう。

しかし当時は学校が全てであり、行きたくない学校に通うのは相当な苦痛だった。


学校に嫌々行けばストレスがかかり、

かといって休んで家にいると親から怒られる‥

小学生のときに体験した、

入り口も出口もわからない「暗闇迷路」の中で手探りをしているような状態だった。


今回はここで切ります

次回は美容専門学校に体験入学に行ったお話をしたいと思います!

観ていただいてありがとうございました!