それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

病院をハシゴする18歳。

米粒です!


今回はいつもの高3のときの自律神経失調症になったときの続きを書いていこうと思います。


前記事はコチラ↓

https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/11/07/015311


ではいこう!


・11月後半

相変わらず体調が万全ではなく

毎日風邪をひいているような状態だった。


テストも教室で受けるのが怖くなり、

保健室横の会議室でヘロヘロになりながら受けたりもした。


かと思えば学校終わりに友達とカラオケに行けるほど元気な日もあって厄介だった。


・11月29日の日曜日


学校は休みで、ゲームをしてから宿題をやると決めていて

リビングでゲームをしていた。

すると親父が部屋から出てきて


「おい米粒。〜の役所に行くから良かったら行かないか?」

と聞いてくる。


役所は車だと片道10分。

ろくな用事でもなさそうだったので


「あー今日宿題するからパス。」

と言った。


すると

「ゲームしよるやないか。いいから来んね。」

と誘ってくる。


こういうときの親父は本当に面倒だ。


俺が小学生のときから、自分一人でもいける用事に誘ってきて断ると「いいやん行こうよ」と何回もしつこく言ってきて

それを断ると拗ねてひどい時は1週間ほど口をきかないこともある。


それが面倒だったので一緒に行くことにした。


役所に着くくらいの信号待ちの時に

「もうお前は受験もまともにできんし、学校へは行かんし将来どうするつもりなんや」

と言ってきた。


「行きたくないわけやないわ!遅れてでも頑張って行っとるのにケチつけんな!」

カチンと来た俺は声を荒げてしまった。


「同じクラスのみんなは受験するっちゃろうもん!努力することから逃げとるようにしか思えんわ!」


と言われた後、俺は気分が悪くなった。

(俺だってこの体調不良がなかったら学校にも毎日行けてる)

(なんで俺ばっかりこんな目に遭わないといけないんだ)


そういう思いと悔しさがこみあがってきた。


手続きを終えて帰りの車の中、俺は猛烈な吐き気に見舞われた。

片道10分。そしてほとんど平坦な道なのに。


もう、親父と一緒にいる空間ってのが耐えられなくなったんだろう。


助手席をギリギリまでリクライニングし、

親父の小言を遮るためにイヤホンをした。


なんとか家に着いてリビングにあったお茶を飲むと落ち着いた。

親父からこんな距離で酔うとかメニエールじゃないかと言われ、ガラケーで必死にメニエールに着いて調べた。


・期待が木っ端微塵


日曜の昼からの運転で体調が悪かったので、

次の日の学校も2時間目が終わったあたりで向かった。

昇降口に着いて教室までを歩く道中、クラスの男子2人とすれ違った。


するとその2人が

「あいつまた遅刻してるよw」

「卒業できないんじゃね?」

とヒソヒソ声でもわざと聞こえるように言ってきた。


それも俺の心が折れた一つの要因でもある。


12月1日火曜日。

精神的な不安で体調不良を起こしていたのだが

当時は知る由もない。

相変わらずめまいと吐き気で悩んでいた俺は

高校までの通学路沿いに耳鼻科があることを思い出した。


ここへ行けば治るかもしれない。


そう淡い期待を抱き、病院のドアを開ける。


出てきたのは初老の男の先生。

「どうされました?」


「めまいや吐き気がもう1ヶ月ほど続いている状態です。」

も病状を話す俺に


「それは大変だったね。」

とゆっくり話してくれる先生。


「とりあえず調べてみようね」

と一通りの診察を受けた。


これだけたくさんの診察をしたんだから、きっと何かしらの異常はわかるだろう。

それさえ対策をすれば、また学校へもしっかり通える。

待合室で結果待ちの俺はそういう期待でワクワクしていた。


「米粒さんどうぞー」

看護婦さんから呼ばれ、初老の院長の前の椅子に座る。


院長は

「うーん‥なんの異常もないね。」

と首をかしげる


「そんな!」

と俺は身を乗り出してしまった。


「とりあえず吐き気止めの薬を出してもらうから。」

と用意された薬は10月に内科でもらった薬と同じだった。どうやら吐き気止めにはいいらしい。


「これ以前内科でもらった薬なんですけど、あまり効かなかったんですよ」

と言ってみる。


「あー、効かなかったら二錠飲めばいいから」

とめんどくさそうに答える院長。


一気に期待を裏切られたような気分になり、

憂鬱な気分は晴れないまま次の日の学校も欠席した。



突然の帰省

12月2日。

学校は欠席しずっと布団にくるまっていた。

食欲もあまりなく、病院に行っても意味がない。

これからほんとに俺はどうしていけばいいんだろう‥


すると家のチャイムが鳴った。

母さんも親父も仕事で出ていたので、俺が玄関に向かった。

ドアを数センチ開けるとどこかで見たことのある顔が。


仕事で県外に出ていた姉ちゃんがたまたま休みがとれて家に戻ってきたのだ。

面影があったから良かったものの、

黒髪ボブだった学生時代から

明るい茶髪に眉毛がほぼ無い姿はちょっとびっくりした。


一緒にリビングで話していると

「そういやお母さんから聞いたよ。あんた体調ずっと悪いみたいやね。」

と話題が上がった。


「そうなんよね。」


姉ちゃんがガラケーを取り出し、あるサイトを見せてくれた。

サイトにはチェックリストがあり今の症状がどんなものかを調べるようなものだった。


「私は米粒じゃないけんわからんけど。

お母さんから聞いたあんたの症状を聞いて調べたら

多分自律神経失調症なんやと思う。」

と教えてくれた。


自律神経失調症

10年前の俺はまだ初めて聞く言葉だった。


姉ちゃんはそのサイトを俺にメールで送ってくれた後、遊びに出かけてしまった。

しかしその症状なら、今の治療法がわからない状態から立ち直れるかもしれないと米粒は嬉しくなった。


12月3日。

親父も母さんも休みで家に居たが

親父は前日の徹夜で寝てしまっていた。

母さんが新しくできた良さげな内科を紹介してくれて

チャリで15分ほどの距離だったので向かうことにした。


そこの病院でも血液検査やMRIなどさまざまな検診があった。


しかし心の病気なので、身体的異常は一切なかった。


お医者さんから、

「もし望むようでしたら心療内科を受診してみてはいかがでしょう?紹介状を書きますので。」

と提案された。


高校生のときの俺は心療内科=よほど精神的に追い詰められている人が行くところと思っていて、あまり嬉しくはなかったのを覚えている。


週明け12月7日月曜日。

予約していた心療内科の受診日。


母さんと待ち合わせという形で病院に向かう。

最寄りの大きな駅の近く。

チャリで20分ほどだった。


母さんより早く着いてケータイを開く。

SNSを見ていたら友達が

「最近米粒全然学校来てない」

とか

「サボり率が異常」

など書かれていて落ち込んだ。


母さんがほどなくして着き、病院に入る。

どことなく内科等の普通の病院よりも静かな気がした。


30分ほど待ち、診察室へ通される。


病院が変わる毎に病状を説明するのが大変だったので

○月×日は〜な症状があったなどを

事細かくルーズリーフにまとめたのを提出すると、お医者さんはブラインドタッチでパソコンに打ち込む。


自律神経失調症の疑いがあると診断され、薬を処方してもらった。


「2170円です。」

といういつもの病院での会計をする母さんを見て

ふと

「いつまで俺は迷惑をかけてしまうんだろう」

と悲しくなってしまった。


病院で処方された薬を飲み、なんとかまた学校に通う日々が続いた。

次の日曜はF校の特待試験。


続きます。


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