それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

10年前のとある長い一日。

米粒です!


早いもので、2019年もあと1ヶ月を切りました。


ブログを開設して3ヶ月目になったので

いつもの自律神経シリーズではなく

もっと気の利いた記事を書こうと思いましたが

ネタが思いつかなかったので


今回は引き続き、10年前の自律神経失調症になったときの振り返りシリーズを書いていきます。

前記事はコチラ↓

https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/11/22/002031


ではいこう!


心療内科を受診してから、症状は少し落ち着いたものの、まだ寛解したわけではなく

まだトンネルは続いていた。


しかし12月13日の試験日まで時間はない。


幸いにも高3の12月からは自習がかなり増えたから専門でもらった問題集をする時間はあった。


国語か英語のうちどちらか1教科の試験で

米粒は国語を選んだ。


12月11日。米粒の高校は毎年この時期くらいに終業式があり長めの冬休みに入る。


俺はかなり気持ちばかり焦っていた。

専門の問題集を解く傍ら、大学受験はしないと決めていたのでアルバイトを探していた。


コンビニで求人誌を持って帰り、高校生でも働けるよころを探した。


高校は進路決定してようがアルバイト禁止だったので

絶対に見つからないところをと思い博多駅から電車で15分ほどの駅の近くの仕分け工場に応募した。


面接日時が専門の試験日と被ったものの

面接は夕方からだったので試験終わりに向かえば間に合う。


・試験日

2009年12月13日。日曜日。

試験日は体験入学の日と同じく体調は良かった。

バスが苦手な俺は相変わらず1時間くらいチャリを漕いで向かった。

無造作にセットしていた髪の毛が、F校に着いたときには爆発していたのを覚えている。


案内された教室は以前体験入学したところとは違い、

ホワイトボードと長椅子が置かれた教室だった。

高校の教室よりも段違いにきれいだったものの。


その日、特待生試験を受けに来たのは俺とあとは4人ほどみんな女の子だった。


淡々と高校のテストと同じような感じで説明があり、国語の試験が始まった。


最初の長文は高校の現代文の授業嫌というほど読んだので手応えはあった。


しかし、漢字が出てこなかった。

高校に入って携帯で文字を入力するようになってから漢字を書かなくなったしっぺ返しが来たような感じ。


時間内に全て解けはしたものの、特待生に受かるかどうかは疑問が残る結果だった。


・寄り道


特待生試験を終え、F校を出た俺は

博多駅に向けチャリを走らせた。

体調はいい。

ふと途中の信号待ちで携帯を開く。

電車の時間を考慮しても、試験が予想よりも早く終わったので時間が余っていた。


俺は方向を変え、福岡の有名スポット

キャナルシティ」に向かった。


俺は中学と高校時代に何回キャナルに行ったか覚えてないほど行った。

高2のときはいつもつるんでいたツレと学校帰りや土日に予定がなくてもぶらぶらしていたほど。


日曜日なのと冬休みだからか、いつもよりも人がごった返していた。


友達と遊ぶときのようにゲーセンに立ち寄り、駄菓子を買い、マツキヨに行ってワックスを見た。


ここまでは高2までの王道ルートだったが、

その日はマツキヨでワックスを見たあと初めてヘアカラーのコーナーに足を運んだことを覚えている。


もともと、地毛がやや茶色だったものの

高校を卒業したら金髪にしたかった。

ブリーチ剤を手に取り、

「早く卒業したいな」

という気持ちになった。


キャナルを出たあとは博多駅の目の前のブックオフで立ち読みをした。

当時はお小遣いで今よりもお金がなかったので、チャリにも関わらず色んなブックオフをハシゴして目当ての漫画が105円で売っているのを探すのが楽しみでもあった。


・アルバイトの面接


時間が来たので、博多から電車に乗った。

バスよりは揺れが少ないのでなんとか電車には乗れたものの、やはり乗り物酔いしやすい俺は一抹の不安はあった。


幸いなことに比較的空いていたので

ガムを噛みながら音楽を聴いていた。


15分後、とある駅に着いた。

この駅に来るのは2回目。

普段遊びで来ることはないが、高2のときに英検の二次試験の会場が近くだったのでほんの少し土地勘はあった。


まだ携帯の地図も発達していなく、

リュックに入れていた地図帳を見て歩いた。


駅から10分ほどで面接地に着き、初めての面接だったので緊張して「面接に来ました」

という一言すら噛んでしまった。


担当の方が来て挨拶をする。

規則が厳しい高校だったので礼儀は大丈夫だったと思う。

「では、履歴書を見せてください」

と言われた。


面接の二日程前に履歴書の書き方がわからず姉ちゃんに教わった、学校の制服姿で撮影した写真と

〇〇〇高校卒業見込み

職歴なしというきれいな履歴書。


教わったけど合っているだろうか‥?

俺はおそるおそる担当の方に差し出した。


見せてから2秒後、面接官は

「え!君高校生なの?!」とびっくりしていた。


「はい。」ときょとんとしながら答える俺


「高校生不可なんだよ〜」

と残念そうに言う。


「18歳以上って書いてあったじゃないですか、雇えないんですか?」と聞いたが、大学一年からオッケーということだった。

せっかく博多駅から時間とお金をかけてきたのに。


帰りの電車の中で母さんから「面接どうだった?」とメールが来ていて、

「高校生不可だって」と返すと

「はじめから言ってくれればいいのに!」

と怒りの絵文字が入っていた。


博多駅から家にチャリで着いた頃にはすっかり日が暮れていた。


しかしここ数ヶ月の間、こんなに遠くまでそして長く外出していたことはなかった。

そして体調も悪くなることはなかったので

この日はいい経験になった。


この積み重ねから俺は少しずつ治るほうに行ければなぁ

としみじみ思った高3の冬だった。



次回は残りの高校生活からまた書いていきます。

読んでいただきありがとうございます!


#自律神経失調症

#福岡

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#博多駅