それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

暗闇迷路の真っ只中。

米粒です!


メリークリスマス🎄

イブはバイトで

バイト後バーに行き

今日は昼過ぎまで寝ておばあちゃんの病院にお見舞い行っていましたww


みなさんはどんなクリスマスを過ごされましたか?


色々と書きたいことは山ほどあるんですが


自律神経失調症のときのシリーズを書こう書こうと思いながらいつも先延ばしにしていたので

今回は自律神経失調症のときのお話をします。


ちなみに最近、youtubeも始めました!

youtubeでは自律神経失調症のときの話をブログよりはざっくりで話しています。


とりあえずyoutubeでサッとみたい人はこちらから↓

https://www.youtube.com/channel/UCJVFoYhsvxk29HpyKSuwVPg


ではいこう!


専門学校の試験を終え、街に買い物に行ったり

苦手な電車に乗ってバイトの面接にも行けて

症状はおさまってきたように思えた。


しかし、次に俺を待ち受けていたのは暇だった。

12月の14日からは約1ヶ月冬休み。

大学受験組は冬休み課外がある。


仲のいい友達は全員大学受験だったので

1人だけ学校に行かなくて良かった。

そして高校を中退したツレもなかなか連絡が取れず

地元の友達も就職するために免許を取ると言ってほとんど遊べなかった。


学校はない。

だがバイトもしていない高校生だったのでお金もない。

今、その時間が戻ってくるのなら喉から手が出るほど欲しい。

それくらい、ヒマと戦っていた。


・12月15日の昼過ぎ

目が覚めた。

学校は俺は行かなくていい。

もう一眠りしようかなと思いながらベッドでケータイをいじっていた。


ピンポーン


インターホンが鳴り、慌てて玄関にダッシュする。

F校からの郵便物だ。

やけに分厚い。


部屋に戻り、分厚い封筒の一枚目の書類を出した。


特待生入試の結果お知らせと書いてあった。


慌てて開封する。


「残念ながら、特待生としては見送らせていただきます」

という内容。


俺はガックリ肩を落とした。

家計にほとんど余裕のない家なのに‥。


ただ、他の書類には

「専門学校自体の入学は許可する」

と書いてあり、今後行われるオリエンテーションなどのスケジュールが書いてあった。


授業料などは免除されないが、

お金を払い手続きさえすれば俺は来年から専門学生だ。


とりあえず親父に話してみよう。


・父の反対


その日親父はタクシー明けで家にいたので

親父の部屋に入る。


親父はほとんど最初話してこなかった。

だから自分から言いたいことを伝えることにした。


「F校の特待生入試を受けたんだけど、ダメだった。

でも、どうしても大学じゃなくて専門学校に行きたい!」


と。


親父は見ていたパソコンのyoutubeを見ながら俺に殆ど目を合わせてくることもなかった。


「学校をサボりまくって勉強しとらんのやから

特待生とかなれるわけなかろうもん」


サボっているわけじゃないと反論したかった。

だけど言ったところでもうサボったサボっていないの水掛け論になるのは火を見るより明らかだった。


親父は続けて

「ほかのクラスのみんなや友達は大学受験のために頑張ってるのに、お前だけ逃げるんか?

専門に高い金払って行くこととか

誰にだってできるやろうが。」


専門はろくなところじゃない

という親父の考えは先月から変わっていなかった。


数秒だったが、また沈黙が続く。

この沈黙がどんより重く、一番嫌だった。


「んで今日は学校やないのか?」

と聞かれた。


「学校はこないだ終業式やったからもう来月までないよ」

と答えると


親父は大学受験組は課外があることを知っていたようだ。

「課外があるやろうが!今からでも学校に行って勉強して大学に行かせてくださいって頭下げてこい!」


「1ヶ月ずっと引きこもるつもりか!」


親父が声を荒らげる。


11月も反対されたし、

今回も何を言われるかは分からなかった。

しかしこんなに頭ごなしに否定されるとは思わなかった。


俺は大学が悪いなんて言っていない。

将来自分の進みたい進路がたまたま専門学校を通るというだけだ。

サボったわけでもないし

学校を辞めたいと思ったこともない。


なぜ俺は親父とこんなに分かり合えないんだろうか。


小学校のとき以来泣いたことがなかったのだが

久々に泣きそうになり

喉がつっかえてくる。


「だから、なんでここまでわかってくれないんよ!」

とついに俺は反論した。


目にはうっすら涙が浮かんでいた。


高校生にもなって親の前で泣くのは恥ずかしいと思い、部屋に戻った。


ケータイの電源を切り、毛布にくるまった。


このまま良くならずに学校に行けなかったら留年かな?

留年してまで、今の学校にいたくない。

だけど学校を辞めたところで専門には行けなくなるしアテは何もない。

一生このまま引きこもるのかな?


いろんな思いが頭をよぎり、涙が止まらなかった。


久々に泣いたからか、いつのまにか疲れて眠ってしまっていた。


目が覚めたころには周りは暗くなっていて

隣の部屋には仕事を終えた母さんも帰宅してきていた。


30分ほどボーっとしていたら

リビングから「ご飯よー」

という母さんの声。


・家族での食事


俺の家は時間が合えば必ず家族みんなでご飯を食べるルールがあったので親父も横の席にいた。


食が殆ど進まなかったが、なんとか少しずつでも食べた。


食事が終わったら毎回母さんが食器を洗い、親父はリビングのソファーでテレビを観るという習慣があったのだが

その日は違った。


食事が終わった後に親父がテレビを消して

「専門のお金はいくらだ」

「資料を持ってこい」

と言ってきた。


戸惑いながらもその日届いたF校からの資料を親父に手渡す。


金額を把握した親父は

「専門でいいんだな?頑張れるか?」

と聞いてきた。


びっくりしながら頷くと

「なら自分の好きにしろ」


ぶっきらぼうな言い方だが専門学校にいく許可を貰った。


俺はかなり嬉しかった。


体調はまだイマイチだったものの、

高校を卒業できれば

その先の進路も決まったという事実が

俺を安心させた。


その日の夜に母さんから聞いたんだが、

親父が反対した後に、

自分の高校に電話を掛けて

「米粒を課外に参加させてください」

と言ったらしい。


そこで担任は、

「米粒くんの1年と2年のときの引継ぎ書を見ましたが、とてもサボるようなことはしないですよ、今回の進路決定も本人の思い切った選択だと思います」

と教えてくれたそうだ。


そして少し考えてくれたらしい。


実際は大学受験する気のない人を課外に参加させたくないってのもあっただろうが、

担任には感謝している。


そしてその後の学校生活は、2月あたりまでは殆ど変化はない。

冬休みはアニメやバラエティのビデオテープの撮り溜めを見たり、飼っていた犬の散歩をしたり

家からチャリで20分ほどの図書館に行ったりしていたらあっという間だった。


心療内科には通っていたがそこがあまりパッとせず、

出された薬も体に合わずに薬も病院も通うのを辞めた。


1月も体調が良いときに学校に行き

休日には1人で出かける日々が続いた。



次は高3の2月〜卒業してからの春休みに行きたいと思います!

いつも見ていただき、ありがとうございます😊