それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

自助会について。

米粒です!


また期間が空きましたが

ぽっと思いつきで書くより

思ったこと、感じたことを限界まで練るタイプなので

ご了承ください。


今回は自分自身が持っている症状と

自助会についてのお話をしようと思います。


細かい事情を話し始めるとまた収集がつかないんで別記事でしようと思っていますが


自分は発達障害(ADHD)を持っています。

不注意、多動、衝動全て当てはまっています。

27歳のときに診断を受けました。


そして何がきついかというと

「普通」という社会の枠に適応するのが

難しいです。


そして近年理解は増えてはきたものの

心ない言葉を言う人(友達、家族、上司とかね)

の言葉を真に受けて精神的に病んでしまったりする人も多いのが現状。


ちなみに自分は発達障害の診断を受けて1週間後くらいにうつ状態になってしまい

そこで医者に言われた心ない言葉により通うのをやめました。


その後は引っ越したり新生活で忙しかったこと、

そして働いていたところが慣れている職場の出戻りだったこともあり、

仕事でのミスもなく発達障害のことを忘れている時期もありました。


ですがあるときにまた体調を崩し、

その職場にも行けなくなりました。


そのときに時間があったことと自身の記憶のこともあり、

とりあえず発信してみようと思って始めたのがこのブログと、Twitterでした。


そしてこの発信活動が今回のメインテーマとなる、

自助会についてというのに繋がります笑


・自助会を知るきっかけ


Twitterをしていて、

たまたま自分の行ける地域で

発達障害を持つ人の自助会というものがあるのを目にしたのを覚えています。


これが3ヶ月程前の話ですけど

当時は自助会という言葉すらほとんど知らなかったです。


とりあえず参加をしてみるかという気持ちで代表者の方にDMを送り、参加表明を伝えました。


最初に自助会に参加したときのことは、

こっちの記事でも書いているので

よかったらこっちも見てね↓


https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/12/09/013441


どんな活動をしているか?


あくまでも自分が行った自助会ですが

流れとしては


挨拶↓

テンプレに沿った簡単な自己紹介↓

自己紹介をもとに、参加者の人たちとフリートーク

といった感じで


テンプレの質問内容も話したくないことは話さなくて大丈夫です。


そして参加者全員何かしらの障害を持っている人なので

同じ悩みや困りごとを持っていて共感できた!

となって仲良くなる人もいますし


同じ発達障害でも

ADHDASDの違いもありますし、

出る症状は違うので

自己紹介で〜な症状があるというのを聞いたときにその症状のことを知るきっかけにもなります。


そして自分の行っている自助会では

毎回「テーマ」があります。

2月はもう開催されましたが

「自分のトリセツ」

というテーマで

用意されたテンプレに沿って自己分析も含めて書いていくという感じでした。


ちなみにテンプレと、

自分が書いたものはこんな感じです。

(消せるようシャーペンで書いたので、

薄くて見にくかったらすいません)



↑これが見本



そして自分の書いたのはこんな感じ!


自己分析ってすごい大事で、

自分自身を客観的に見たり、


「これは自分には難しいけど、これならできる」

みたいな人に伝えるツールにもなります。


1月は、前の月にみんなで本を出版するというテーマを掲げたこともあり

本の書き方などについてのことも勉強しました。


ちなみに

これが1月の自助会のときの様子です。

プライバシー保護のため、自分以外はモザイク処理させていただきました。




・この自助会で


自分はこの自助会に参加したことでいくつか得ることができました。

まずは

・「同じ地域でこういう症状を持っている人がいる」

という心強さ(表現するのが難しい笑)

かと言って傷の舐め合いではなく、

お互いを尊重しあって小さなことでも

「できること」

を話しています。


・すごく境遇が似ている人と出会い、

別日に会って話したりする人ができた


1月に参加した際、

小さいときの境遇からほとんど自分と似たような症状を持っている人と出会いました。


その人とまた休みの日が被ったら

またお話をする予定です。


・気付き


そして、文章にしてみれば本当に当たり前のことなんですが

自助会に参加してお話を聞いているときに

ハッとしたことがあって


「活動を形にすることが大切」

ということ。


これはどういうことかと言うと、

例えばですけど

「自分は自律神経失調症になった過去があった」

っていうのは

自分自身、米粒の紛れもない事実。


だけどこれを記事にすることやYouTubeで発信することにより、賛否両論あれど

まず見てくれる人がいて

そして共感してくれる人もいる。


そして自律神経失調症のような症状を持っているけど

どうしたらいいかわからない人にとっては

たとえ拙い文章であっても

もしかしたら解決の糸口になるかもしれない。


だけど発信していなかったら

その情報は誰にも入らないし


単に自分の辛い過去というだけ。


そのあたりの過去のことも

また記事にしようと思います。


とりあえず今日は自助会のことについてお話をさせていただきました。



#発達障害

#自助会











記憶のメカニズム。ハイパーサイメシア?

米粒です!


前回の続きの記憶に関する記事です

前記事はコチラ↓


https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2020/01/24/053907



・なぜ、これを記事にしなかったのか?


自分の頭の中の話で

表現がシンプルに難しいから笑


あと、高確率で気持ち悪いと言われますw


記憶力のことをネットで調べると

サヴァン症候群がまず出てきます


それで俺はサヴァンなのかなと思っていましたが、違うようです


サヴァンの人だと、何十年前の◯月◯日は何曜日?という質問にも即答できる」


ということや

「産まれてからの全ての記憶がある」

という点が俺と違います


さっきの例で自分は曜日も挙げましたが

曜日は一瞬では出てきません。


覚えている近い日の曜日から逆算して

曜日を思い出したりしています。


そして俺はあくまで16歳あたりからの記憶なので


産まれたときからの全記憶はありませんw


なので、俺はただ昔のこと覚えてますよー?らいで記事にはしなかったんです。


・ネットを見ていたら、

自分に当てはまりすぎる記事が


この内容を書くきっかけとなった記事がありました。


コチラ↓


https://gigazine.net/amp/20160223-people-who-never-forget


まるで自分のことを言われているようでした

びっくりしたよ😱


なんか、俺が書けなかったことを

全て代弁してくれた感じw


どんなに記憶あるって言っても

さっきの友達のスマホの日付みたいに

立証できるものがないと

信憑性はないし

なんなら嘘だっていくらでもつけるよね。


そしてこの記憶力が活きているかといえば、

そうでもない笑


ほんとに自分の中での記憶やし

なんというか、興味の無いものは

記憶しようという気がないw


そう考えると、学生時代にできる教科とできない教科の差が凄かったのもうなずける。


好きな教科では90点超えてたけど

嫌いな教科は一桁とか10点台とか普通にとってたからw


多分、こういうのを研究している方の目にこのブログが止まったら、インタビューしてくれるかなってくらいかな笑


・記憶力にはデメリットもある


さっきの記事に書いてあって

思わず

「そう!」

と相槌を打つほど共感したことがあって


「嫌なことも忘れられない」

ということ。


10年前の高3のとき、自律神経失調症で悩んでいたときも

本来であれば忘れたいことである。

忘れられないのはほんとにつらい。


だけど10年経つ今でも昨日のことみたいに覚えてるし

逆にもう

「こんだけ覚えてるなら、書いて

今悩んでる人の力に少しでもなろう」

と思ったのも

このブログを始めたきっかけでもある。


・この記憶力が褒められた


Twitterのフォロワーさんがブログに来てくださり、

記事を読んでもらった。


するとTwitterのDMで、

時系列が分かりやすく読みやすかったと

褒められました!


え、すごい嬉しい😃


こんなに話脱線しまくりのブログなのにw


Twitterのフォロワーさんも増えてるから

記事にも来てくれる人増えますように!


ではまた次の記事で✨








記憶のメカニズム。

米粒です!


まだまだ寒い日が続いているので

みなさん体調に気をつけてくださいね


休むのも、仕事の一つです✨

(ちょっとMAJORっぽいセリフになってしまったw)

MAJORでは(休むのもトレーニングの一つです)


さてさて

いろんな症状を持っていて

とにかく整理が大変なのですが


今回ちょっと興味深いことを知りまして

こうして記事にさせていただきました


このブログのプロフィールにも何度か書きましたが

自分は今28歳ですが

16歳ごろからの記憶が

ほぼ毎日のようにあるんです。

まるで、スマホの写真機能みたいに。


もちろん、覚えていない日や

時期もあります。


少し前の日は覚えてないのに

10年前の◯月◯日のことなら覚えているとかもあります。


・いつから?


小学校低学年の頃から、

人の誕生日を覚えるのが得意でした

当時はクラスの人の固定電話の連絡網があって

それほど仲良くないクラスの人にも

誕生日には電話しておめでとうと言ってました(今考えるとめっちゃ迷惑w)


そして詳細は覚えてないけど

何かあるごとに友達から

「よく覚えとるよね」

と言われることが増えたのもこのときから。


小中の頃の記憶は

全部ではないけど

断片的には覚えているかな。


中3になると受験勉強に必死で

毎日が同じ繰り返しだったから

この辺りは特定の日の記憶はそこまで多くない。


記憶力あるねと最初に褒められたのは

母さんのママ友にあたる人からだった。

その人の誕生日や

昔ドライブに連れてってもらったときにちょろっと聞いたことでも

その内容を覚えていたことで


「米粒くん記憶力すごいね、それを勉強に使えたら将来すごい大人になれるよ」

と。


嬉しかった。


・大人になってから


大人になってからその記憶力が確信に変わったことがいくつかあった。


小学6年生のときに、卒業前に

小学校のグラウンドにクラスの人たちでタイムカプセルを埋めたんやけど


全員が20歳になった年に、

そのタイムカプセルを掘り起こし

その後飲み会が行われた。


飲みの場やし

全員が小6の時の同級生やから

話題が小学校のときの話になるんやけど

あまりに覚えてる内容が鮮明すぎて

少し引かれたというエピソードがある。


クラスメイト以外に、

俺には中学の同級生で

今でも連絡をとっているグループがいて

夏と冬の長期休暇には

みんな集まって小中学校時代のバカ話するんだけど

あるときそのツレの1人から

「米粒って異常に昔のこと覚えてない?」

と言われ、

飲み会だったので色々思い出した話をマシンガンしてみた。

するとツレから

「やばすぎて捏造を疑うレベル」

と言われた。


そして自分が米粒(Twitterは米粒しゃちょーね)

として活動を始めてからも、

こういう記憶があるということはけっこうフォロワーさんに言っていた。


そして以前、Twitterのフォロワーの友達が

自分の地元にライブで来たことがあり、

会おうということになった。


そしてたまたま近くの観光地を案内していたとき、この観光地に2年前の台風の日に来たことがあると言われたんやけど


その情報だけで、俺はその友達が来た2年前の日付を当ててしまった。w


ちなみに友達はそのときの写真をスマホに入れてて、ちゃんと写真の日付で立証ができ、

友達もついつい「気持ち悪w」

と言っていた。w


・自分自身の記憶力の詳細。


正直に言うと、

この内容をうまく表現できるかわからなかったので記事にするかは迷った。

だけどなんとなくでも伝わってくれると嬉しいし、こんな人もおるんやなってくらいでも

見てくれるとありがたい。


シンプルに、時系列を頭の中で巻き戻していくだけ。


今日が2020年1月24日ならば

1年前の2019年1月24日はどこで何をしていたのか?

じゃあ2年前の2018年1月24日は?

みたいに。


それで思い出す内容の深さというかレベルは

そのときによる。


例えとして、

ここ2年を挙げてみる。

2019年1月24日木曜日。

当事の俺は愛知県の工場で働いていた。

遅番の週で、残業続きで工場を出るのが夜3時半くらいだった

休憩室にはカロリーメイトがたくさん用意されていた。

1月20日に買ったパソコンソフトで

懐かしいテレビ番組を見ていた。


2018年1月24日水曜日。

当事の俺は地元のピザ屋で働いていた。

3日前のライブの余韻に浸りながら、

その日は16時から23時までのバイトだった。


こんな感じで、

何か特別なイベントがあった日などは書くことも多くなり、

あまり変化がないor休日で何もしなかった日などは

書くことが少ない。


ちなみに頭の中で思い出す時間も少しバラバラで

指定した日の数日前後から遡ってみて思い出したりで少し時間がかかるときもあれば


ほんとに一瞬で思い出す日もあります。


なぜこれをもっと早く記事にしなかったのと、

まとめについては

次の記事で!


(もう書いてるので、すぐに公開しますw)


#記憶力

新年の挨拶と2020年の動向

米粒です!

前回の更新から少し間が空いてしまいましたが

自分は元気です!


そして遅くなりましたが

2020年もこのブログをよろしくお願いします🤲


もう一度整理すると

俺は現在28歳。

小学生のときの給食が主なきっかけで

20代前半で会食恐怖症。(今も奮闘中)

18歳のときに自律神経失調症(今はほぼ寛解)

27歳のときに抑うつ状態(今はほぼ寛解)

27歳のときに心療内科発達障害と診断され

る。(治るものではないので向き合っていきます)


さっき、抑うつと自律神経はほぼ寛解と書いたのは

基本的には治っているんですが

季節の変わり目や

疲れているときなど

一番ひどいときほどはないものの少し再発することがあり

「ほぼ」という言葉を加えました


めちゃくちゃ生きにくい世の中ではありますが

それでも楽しいことはきっとあると思い

毎日生きています✨


新年最初のブログが自律神経失調症シリーズだと読者さんも俺も気が滅入ると思うから


俺の抱負をよかったら聞いてください!


どう表現したらいいかわからんけど

ずっと思ってたのは

「人の居場所をつくりたい」

「困っている人たちの力になりたい」

ということ。


幸いなことに、俺は上記のいろんな症状を持っているにも関わらず

家族や友達、学生時代は先生、Twitterや見ていただいてるブログの方、大袈裟でなく皆さんに支えられて今まで生きてこれています。


ただ、自分が小さいときから父親に言われていたことがあって


「普通に勉強して、普通にとりあえず大学に行って、普通に就職して、普通に結婚すれば

なんの問題も無い」

ということ。


小さいときは

「そうなんだ」

と思ってましたが

歳をとるごとに

「普通ってなんだろう」

と疑問を持つようになりました。


そして高3のときに

進路をめぐり父親と喧嘩になりました。

そのときにも

「なんで進学校に入ったのに、普通に大学に行こうとしないのか!」

と散々言われたのを昨日のように覚えています。


色々あって専門を辞め、大学に行きそこも除籍になり

福岡でスーパーでアルバイトをしていました


そしてスーパーだけでは勤務時間が短かったので

朝だけ飲食店でバイトをしていたのですが


マルチタスクが苦手なのと気が利かない、物覚えが悪いのオンパレードで

高校生でも卒なくこなせるホールが全くできなかったんです

オーナーからはほとんど見放され、

店長からは「やる気はあるの?」

と聞かれ

当時高校生のバイトからも

「こんな普通のこともできんの?」

みたいに言われ、


「ああ、また出たよ普通という言葉」

と思っていました。

と同時に自分はなんでこんなにできないんだろう?と悩んでいた時期でもあります。


その後もいくつも職を転々とし

「〜は常識でしょ?」とか

「普通は〜」

みたいなことは散々言われました。


日本では一度レールを外れると、

また戻るのは難しい


というのはよく聞きますが、

やはり今まで生きてきて思うのは

「普通じゃない人をいろんな手段で攻撃する人が多い」

ということですね。


こんなこと言いながらも今のところは普通に働いている俺ですが(生活のため)


俺は基本的に癖が強いので

「普通」

とはかけ離れてまくっていると思います。


でも、家族や先生、大人は「普通」

を求める。


問題なのが、

「普通じゃないのを叩かれた人のその後」

である。


そもそも「何を持って普通」

とかいう話すと哲学的になって収集がつかなくなるのでしませんが


普通じゃないことを言われまくったor

批判された人は

真面目な人や真に受けすぎる人ほど

職場での居場所を無くし

転職したり鬱になったり壊れます


んで大抵、会社の人からは

「どこ行っても続かん」

とか

「根性ナシ」

って烙印を押されるんですよね。


これは一部、正論ではあるかもしれない。


食べていくために働くのに

すぐ辞めていたら

これから先どうするの?

となる面だけで言うなら。


やけどそこで働けなかった人が

他でも全く働けないかと言えば

それは違うと言える。



俺も飲食店とか

いろんなところで続かず

めっちゃ怒られて

辞めるって言ったら引き継ぎの最終日までグチグチイヤミを言われ続けたりしたけど


今は別のとこで働けてるし

なんの問題もないんよね。


その人のダメな面だけ見てる。


その会社の嫌なやつのせいで

自分が壊れたりするのは

めちゃくちゃもったいないと思う。

毎日言われるとか、洗脳だよね、あれ。


しかも大抵、その上から言ってくる人は

「おまえのためを思って」

みたいに言ってくる人いるけど


お世辞でも今まで俺が会ってきた

合わない人は

自分のストレスの憂さ晴らしとか

自分の立場や世間体を必死に守ってるだけにしか見えなかった。


・とりあえずは。


すいません、

話が脱線しまくるアンドまとまらない、

自分あるあるですので

言いたいことを。


自分は今発達障害を持つ人たちの自助会に参加させていただいていて

本当に有意義な時間をいただいています。


同じ障害を持つ人じゃないとわからないことなども話せるし、お友達もできました。


その中で、

普通という枠から少し出ただけで

親や職場で言われまくったという人もいます。

いろんな能力を持ってる人がいるけど

残念ながら、まだ発達障害の人に対しての世間の認識、理解は甘く


その持っている能力を褒めずに

できない部分を取り上げてマウントを取る人たちが多いです。


かくいう自分も、

仕事とは全く関係のないことがズバ抜けていたりがありますが

「それを仕事に活かせ」

的に言われたり

否定されまくって

抑うつ状態や自律神経失調症とか

ほんとに色々ありました。


これをこの記事で書き始めると終わらないので、過去記事見てくださいw


それで自分自身も含めた

「居場所」作りを今年はしたいと思っています。

これを言うのは批判覚悟ですが

まだ、事業計画もできていない

今は完全なる夢物語です。


だけど、自分自身が体感したことのある

「居場所がない」

ということ

これはかなりのストレスやし


怒られて否定されて、

全員が全員「なにくそ!」

ってはならないから。



この先、絶対に必要になってくるものだと俺は思ってる。


発信、これからも続けていきます。













暗闇迷路の真っ只中。

米粒です!


メリークリスマス🎄

イブはバイトで

バイト後バーに行き

今日は昼過ぎまで寝ておばあちゃんの病院にお見舞い行っていましたww


みなさんはどんなクリスマスを過ごされましたか?


色々と書きたいことは山ほどあるんですが


自律神経失調症のときのシリーズを書こう書こうと思いながらいつも先延ばしにしていたので

今回は自律神経失調症のときのお話をします。


ちなみに最近、youtubeも始めました!

youtubeでは自律神経失調症のときの話をブログよりはざっくりで話しています。


とりあえずyoutubeでサッとみたい人はこちらから↓

https://www.youtube.com/channel/UCJVFoYhsvxk29HpyKSuwVPg


ではいこう!


専門学校の試験を終え、街に買い物に行ったり

苦手な電車に乗ってバイトの面接にも行けて

症状はおさまってきたように思えた。


しかし、次に俺を待ち受けていたのは暇だった。

12月の14日からは約1ヶ月冬休み。

大学受験組は冬休み課外がある。


仲のいい友達は全員大学受験だったので

1人だけ学校に行かなくて良かった。

そして高校を中退したツレもなかなか連絡が取れず

地元の友達も就職するために免許を取ると言ってほとんど遊べなかった。


学校はない。

だがバイトもしていない高校生だったのでお金もない。

今、その時間が戻ってくるのなら喉から手が出るほど欲しい。

それくらい、ヒマと戦っていた。


・12月15日の昼過ぎ

目が覚めた。

学校は俺は行かなくていい。

もう一眠りしようかなと思いながらベッドでケータイをいじっていた。


ピンポーン


インターホンが鳴り、慌てて玄関にダッシュする。

F校からの郵便物だ。

やけに分厚い。


部屋に戻り、分厚い封筒の一枚目の書類を出した。


特待生入試の結果お知らせと書いてあった。


慌てて開封する。


「残念ながら、特待生としては見送らせていただきます」

という内容。


俺はガックリ肩を落とした。

家計にほとんど余裕のない家なのに‥。


ただ、他の書類には

「専門学校自体の入学は許可する」

と書いてあり、今後行われるオリエンテーションなどのスケジュールが書いてあった。


授業料などは免除されないが、

お金を払い手続きさえすれば俺は来年から専門学生だ。


とりあえず親父に話してみよう。


・父の反対


その日親父はタクシー明けで家にいたので

親父の部屋に入る。


親父はほとんど最初話してこなかった。

だから自分から言いたいことを伝えることにした。


「F校の特待生入試を受けたんだけど、ダメだった。

でも、どうしても大学じゃなくて専門学校に行きたい!」


と。


親父は見ていたパソコンのyoutubeを見ながら俺に殆ど目を合わせてくることもなかった。


「学校をサボりまくって勉強しとらんのやから

特待生とかなれるわけなかろうもん」


サボっているわけじゃないと反論したかった。

だけど言ったところでもうサボったサボっていないの水掛け論になるのは火を見るより明らかだった。


親父は続けて

「ほかのクラスのみんなや友達は大学受験のために頑張ってるのに、お前だけ逃げるんか?

専門に高い金払って行くこととか

誰にだってできるやろうが。」


専門はろくなところじゃない

という親父の考えは先月から変わっていなかった。


数秒だったが、また沈黙が続く。

この沈黙がどんより重く、一番嫌だった。


「んで今日は学校やないのか?」

と聞かれた。


「学校はこないだ終業式やったからもう来月までないよ」

と答えると


親父は大学受験組は課外があることを知っていたようだ。

「課外があるやろうが!今からでも学校に行って勉強して大学に行かせてくださいって頭下げてこい!」


「1ヶ月ずっと引きこもるつもりか!」


親父が声を荒らげる。


11月も反対されたし、

今回も何を言われるかは分からなかった。

しかしこんなに頭ごなしに否定されるとは思わなかった。


俺は大学が悪いなんて言っていない。

将来自分の進みたい進路がたまたま専門学校を通るというだけだ。

サボったわけでもないし

学校を辞めたいと思ったこともない。


なぜ俺は親父とこんなに分かり合えないんだろうか。


小学校のとき以来泣いたことがなかったのだが

久々に泣きそうになり

喉がつっかえてくる。


「だから、なんでここまでわかってくれないんよ!」

とついに俺は反論した。


目にはうっすら涙が浮かんでいた。


高校生にもなって親の前で泣くのは恥ずかしいと思い、部屋に戻った。


ケータイの電源を切り、毛布にくるまった。


このまま良くならずに学校に行けなかったら留年かな?

留年してまで、今の学校にいたくない。

だけど学校を辞めたところで専門には行けなくなるしアテは何もない。

一生このまま引きこもるのかな?


いろんな思いが頭をよぎり、涙が止まらなかった。


久々に泣いたからか、いつのまにか疲れて眠ってしまっていた。


目が覚めたころには周りは暗くなっていて

隣の部屋には仕事を終えた母さんも帰宅してきていた。


30分ほどボーっとしていたら

リビングから「ご飯よー」

という母さんの声。


・家族での食事


俺の家は時間が合えば必ず家族みんなでご飯を食べるルールがあったので親父も横の席にいた。


食が殆ど進まなかったが、なんとか少しずつでも食べた。


食事が終わったら毎回母さんが食器を洗い、親父はリビングのソファーでテレビを観るという習慣があったのだが

その日は違った。


食事が終わった後に親父がテレビを消して

「専門のお金はいくらだ」

「資料を持ってこい」

と言ってきた。


戸惑いながらもその日届いたF校からの資料を親父に手渡す。


金額を把握した親父は

「専門でいいんだな?頑張れるか?」

と聞いてきた。


びっくりしながら頷くと

「なら自分の好きにしろ」


ぶっきらぼうな言い方だが専門学校にいく許可を貰った。


俺はかなり嬉しかった。


体調はまだイマイチだったものの、

高校を卒業できれば

その先の進路も決まったという事実が

俺を安心させた。


その日の夜に母さんから聞いたんだが、

親父が反対した後に、

自分の高校に電話を掛けて

「米粒を課外に参加させてください」

と言ったらしい。


そこで担任は、

「米粒くんの1年と2年のときの引継ぎ書を見ましたが、とてもサボるようなことはしないですよ、今回の進路決定も本人の思い切った選択だと思います」

と教えてくれたそうだ。


そして少し考えてくれたらしい。


実際は大学受験する気のない人を課外に参加させたくないってのもあっただろうが、

担任には感謝している。


そしてその後の学校生活は、2月あたりまでは殆ど変化はない。

冬休みはアニメやバラエティのビデオテープの撮り溜めを見たり、飼っていた犬の散歩をしたり

家からチャリで20分ほどの図書館に行ったりしていたらあっという間だった。


心療内科には通っていたがそこがあまりパッとせず、

出された薬も体に合わずに薬も病院も通うのを辞めた。


1月も体調が良いときに学校に行き

休日には1人で出かける日々が続いた。



次は高3の2月〜卒業してからの春休みに行きたいと思います!

いつも見ていただき、ありがとうございます😊




小さなことでも言葉で伝える。まとめ

米粒です!


以前の記事に引き続き、

「言葉で言わないと伝わらない」

というテーマでお話して行こうと思います。


前記事はコチラ↓

https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/12/20/021646


続きなので、まだvol.1を読んでない方は

こっちから読んでもらえたら嬉しいです!


ではいこう!

高校時代も専門学校のときも、

「冗談が通じない」

「場の空気を読むのが苦手」

ということに悩んでいた。


けれど、本当に苦しむことになったのは

学校を辞め、アルバイトや仕事をするようになってから。


これは仕事先の上司にもよるが、

ときにはかなり指示の出し方がわかりにくい上司がいたりする。


しかも、そのわかりにくい指示で

「察しろ」

とか

「理解しろ」

という高等テクを求められる。


一例として。

俺はけっこう長い間ピザ屋でアルバイトをしていた。

んで25歳のとき。


ピザ屋でのアルバイトでは

街中を走っている配達員の仕事をイメージすると思うけど

ベテランになったら後輩が代わりに配達行ってくれたりして、店内業務のほうに回されるんよ。


んで苦手な先輩と一緒に、食材の仕込みをしよったわけ。


んで俺間違えて

日付が古いやつが冷蔵庫にまだあったにも関わらず

その存在に気づかずに

日付が新しい食材を開封して仕込みしよったんよ。


たら数分後それに気づいた先輩が

無言だけどまるで「気づけよ」

と言うように

冷蔵庫から古い日付の食材を俺の横にポンと置いた。


俺は置いてくれたことで

(ああ、丁寧に次に仕込む分まで冷蔵庫から出してくれたのか)

と思ってしまった。


これが認識の違い。


なので

「ありがとうございます!」

とお礼を言った。


するとその先輩が

何がありがとうございますや!!バカかお前は!」

といきなり怒り出した。


当然ポカーンとする俺。


そしてその後も

「こんなに長いこと働いとるのにそんなこともわからんとかお前終わっとるわ」

とかめっちゃ説教された。


いやいや。

たしかに食材の箱ごとに日付シールは付いている。

そして日付の古い方から優先的に使うというのは当たり前。


日付古いほうに気づかなかった俺も悪い。


だけど程度はあれど優先順位を間違えることは誰にだってある。


そしてさ‥

そんなにキレるくらいなら、

俺の横に置くときに

「日付が古いやつがこっちだから、

先にこっちの物を使って。」

って言ってくれればいいやん。


エスパーじゃないんだから。


その日以来、

(先輩は昔からうすうす気づいてたみたいだけど)

俺はその先輩に

「いい歳して気が利かないやつ」

というレッテルを貼られ、

事あるごとに

「なんでそんな事もわからんと?」

と言われることが多かった。


先輩が仕切ることが多い職場だったので、なるべくその先輩とシフトが被らないようにし

被ったときは最低限しか一緒に仕事をしないようにしたのでわりと長い期間勤めることができたけど

毎日一緒とかだったら多分俺は追い詰められて精神ぶっ壊れていたと思う。


・掃除のお仕事


俺は福岡に戻ってきてから、掃除のお仕事を11月までしていた。

その仕事でも俺は注意されまくった。

多分、1、2位を争うレベルで今までで向いていなかった仕事だと思う。


とにかく不注意や見落としが多い特性を持っているので

普通の人だと気づくゴミとか

髪の毛とかめっちゃ見落としていた。


ちなみに、目が悪いわけではない。

(裸眼はめっちゃ悪いけどコンタクトだから1.0はあるはず)


だけど先輩や社長に


「ここ掃除した?」とか

「髪めっちゃ落ちてるやん!視力悪い?」

とか何回言われたかわからない。


ちなみにそこの会社では研修期間があり、

最初の1ヶ月はひたすらお風呂の掃除で

ほぼ全員が1ヶ月足らずでお風呂を卒業して

違う場所の掃除に進んで行くんだけど


俺は

「1ヶ月おってまだこのくらいしかできないの?」

とか

「何を考えて仕事してるの?」

とか言われまくった。


ピザ屋の先輩とは違い、

怒られるわけではなく注意だし

社長も心配してくれたけど


なんていうんだろう。

心配されると逆に

「なんでここまで俺ってできないんだろう」

って自信を無くしてしまった感じ。


おっと、話題が逸れていたww


ある日、社長と一緒の物件を掃除していて

お風呂掃除を終えた俺は社長にチェックをお願いした。


チェック漏れで洗面器に髪の毛がついていたらしく、


社長が「かみ!」

と言った。


俺は拭き上げのペーパー(紙)が必要なのかと思い、急いで仕事用のカゴからペーパーを持ってきて社長に渡した。


すると社長は笑いながら

「どういう思考回路?ww」

と少し呆れたような声を出した。


ここでも、

「髪の毛が残ってるから気をつけて」

みたいに伝えてくれたらなあと思った。


・全部言わなくてもわかることは多い


例えば子供が、

「お母さん、ごはん」

と言うのは

「ごはんを食べたいから作って」

ということは分かるし


学校で小学生が先生に

「先生、トイレ!」

って言うのもよく聞く話。

もちろんこれも

「トイレに行きたいです」

とまで言わなくても分かる。


赤ちゃんでもお腹が空いたりオムツを替えてほしいときは泣いて伝えるし


犬や猫など動物も鳴いたり吠えたりしたら

「お腹すいたんだな、エサあげないと」

と分かるだろう。


・なるべく、伝わりやすい言葉を心がける


でも自分たちは犬や猫ではないし

赤ちゃんでもないから

話し合うことができる。


俺はピザ屋にいたときに店長代理という、

店長が休みの日に店を切り盛りするポジションにいたことがあるけど


俺は多分、「そこまで言われなくてもわかりますよ笑」

って裏で思われていたくらい、細かく指示して、

「わからんくなったらすぐ聞いて」

と言っていた。


自分自身が、言ってくれないとわからないということでものすごく悩んだので、

もし後輩が同じ悩み持ってたりして

頭ごなしに怒られるのって嫌だと思うから


向き合うことを心がけた。


他にも家族や昔からの友達とかだと

ツーカーみたいに

言葉足らずでも通じることが多い。


だけどちょっとしたズレで

口論になる可能性だってある。


俺もまだまだ勉強不足って思うけど

極力伝わりやすくなればと心がけている。


・発達障がいを取り上げた番組


以前、世界仰天ニュースというテレビ番組で

「空気がわからない女性」

というテーマが取り上げられていて

発達障がいを持つ女性の苦悩の話だった。


俺はその女性に共感できることがかなりあった。


印象に残っているのが、

その女性が旦那さんに

「私は、言葉で伝えてくれないとわからない。

このくらい言えばわかってくれるだろうと期待するのは無理だと思ってほしい」

と伝えた。


すると旦那さんは、


(以前今日は飲み会で遅くなるからと言って帰ってきたら食事が用意してあった。

遅くなるとは言ったけど、食事はいらないとは言っていなかった)

ということがあったことが心当たりとなり

その後は些細なことでもちゃんと伝えるようにしたというエピソード。


・最後に


自身が発達障がいで伝えるのが難しい、

人の発言が分からない

という人はもちろん、


発達障がいの人を家族に持つ人、

仕事などで関わる人も


より多くの人に知ってもらいたいと思い、

この記事を書いた。


些細なことでも、

上手じゃなくても

伝えることでわかってくれることがある。

少しずつでもやってみましょう。


最後まで見ていただいてありがとうございますm(_ _)m


#発達障がい

#ADHD

#ASD












小さなことでも言葉で伝える。vol.1

米粒です!


早いもので今年も2週間を切りましたね❄️


みなさんは2019年はどんな年でしたか?


俺は今年は散々でした😓


でもタイトルのように

「それでも、強く生きる。」

を掲げて毎日頑張っています。


今回こそ自律神経失調症のシリーズを書いていこうと思ったんですが


Twitterやオフ会でフォロワーさんと話したことを機にこれを記事にしようと思ったことを先に書きたいと思います。


自律神経失調症シリーズもなるべく早く書きますので

しばしお待ちを🙏


ではいこう!


今回のテーマはズバリ、

「言わないと伝わらない。」

当たり前じゃんって思うかもしれんけど

「言う」ってことはかなり大事なことだと再認識しているんよ。


なんでこの記事を書こうと思ったかっていうと


発達障がいを持っている人は

「伝えるのが苦手」だったり

「報告、連絡、相談(ホウレンソウ)」

がなかなかできずに悩んでいる人が多いというのをTwitterで見たことと


自分自身もよく思い当たるエピソードが思い出したら山ほどあったから。


自分の伝え方が悪かったりすることもあるし

相手の伝え方が悪くてうまく伝わらないということもどちらもある。


そして障がいのあるなしに関わらず、

ホウレンソウは社会人だと必須だし

普通の人でも超能力者やない限り

言われないとわからないことってたくさんある。


んじゃ、いくつかあるけど

思い出したことを順番に話していきたいから

よろしくね。


1.ゴルフボール


これは俺が中学2年のとき。

休日に家族でプロゴルファーの大会を観に行ったんよ。

んで18ホール終わったら

選手たちが観客に記念としてゴルフボールを手渡ししよったわけ。


んで当時有名やった選手がホールアウトして自分たちの観客席の横を通ってきたんよ。

観客めっちゃおるから俺はもらえんやろなーとか思いながら

「ボールください」

と言って手を伸ばしてみたら

偶然にもその選手と目が合ってボールを俺にくれたんよ。


俺びっくりしてさ

それと中2で照れくささもあってか

ぺこっと軽く頭を下げただけだった。


母さんから

「ボールもらったんね?!

ちゃんとお礼言った?」

と聞かれ

「頭下げたよ」

と返した。


すると

「頭下げただけやと分からんやない!

ありがとうございますって言わな!」

と怒られた。


たしかに大勢の人がいるなか、

軽く頭を下げただけなら選手には見えていないかもしれない。

「ありがとうございます」

の一言でも言えれば、お互いに気持ちよかったかもしれないと後々後悔した。


言っても聞こえていなかった可能性もあるし、選手は何も思っていないかもしれない。


でも伝えることが大事だった。


2.学生時代の恋愛


俺は恋愛の駆け引きもびっくりするくらい下手だった。

下手というか、鈍感。

どんだけ相手がアクションしてきても

好きって言ってくれないといつまで経っても気づかないんです‥


例えばこれは中3のとき、

同じクラスで、席も隣の女子、Sちゃん。(仮名)

Sは小学校からの同級生で口喧嘩してた時期もあったし

同じクラスになっても恋愛という感じは全くなかった。


それがたまたま、中3の2学期に目指していた志望校が一緒だったことがあり、

よく一緒に勉強していた。

おそらくそのときくらいにSは好意があったんだと思う。


しかし中3の2月、

俺はSと目指していた志望校を諦め、

確実に受かる高校に進路を変えた。

Sに何も言わずに。


そして卒業式の1週間前くらいに

中学の卒アルが配布されて

みんなに最後のページに寄せ書きをもらった。


んでSにも

「お!Sやん、ちょっと寄せ書き書いてー」

くらいのノリで接していたと思う。


家に帰ってみんなからの寄せ書きを見ると

Sからは

「一緒に○○高校いこうって言ってたのになんで諦めるとよ、バカ!」

って書かれていた。


そして中学を卒業し、それぞれ別の高校の1年になったんやけど

高1の文化祭のときにSが俺の学校に来てくれていた。

俺の高校はSの高校よりもめっちゃ離れてるにも関わらずチャリで来たらしい。


Sちゃんはここまでしてくれたにも関わらず、

俺は好意に全く気づかなかった。


俺がそれに気づいたのは

半年以上あとの高1の2月だった。

中学時代のツレと遊んでいたときに懐かしくなってみんなで卒アルを見ていたときに寄せ書きを見てツレが

「は?!絶対Sって米粒のこと好きやったやろ!」

って叫んだ。


「あー、文化祭にもチャリで来てくれてたよ」

と話した瞬間、

ツレから

「ここまでされて気付かないって逆にすげーわ」

と言われた。

ほかのツレにも聞いてみたが、ほぼほぼ間違いはないだろうと言われた。


Sちゃんは全く気づかなかった俺に愛想を尽かし?自分の高校で彼氏を作り連絡をしなくなったので真相は闇だけど


正直に言うと寄せ書きも

「なんかすげーこと書いてるな」

くらいにしか思わなかったし


文化祭に来てくれたときも

「遠いのに頑張ったね」

としか思っていなかった。


仮に好かれていたとしたらすごい申し訳ないことをした。


・高2のとき

だが、俺はとことん鈍感だった。

高1の終わり頃にツレにあれだけ言われたにも関わらず、「好き」とストレートに言ってくれない限り俺はわからない人だった。


俺は高2になり、部活も辞めていたので男友達と夏休みを満喫していた。

当時はモバゲーというSNSが大流行していて

俺は隣の高校に通うA子と友達になり、ミニメールでずっとやりとりをしていた。


そしてお互いの顔もまだ知らないけど

夏休みで暇ということで遊ぼうということに。


予定を合わせて近所のTSUTAYAで待ち合わせした。

お互いの顔がわからないので

自分の特徴を伝えた。

「カラーワックスで明るい茶色にしているツンツンの髪、黒の迷彩ズボン、CDコーナーにいる」


数分後、同い年くらいの女の子2人が来て

「モバゲーの○○くんだよね?」

となり合流。A子は1人じゃ不安で同じ高校のH美という女の子を連れてきていた。


そのあとは近くの河川敷でお互いの学校のことや音楽の話で盛り上がり、

俺のチャリの後ろにA子を乗せて隣町のサーティワンまで出かけた。


道中、A子は

「米粒くんって彼女いないの〜?」

「私彼氏募集しているんだー」

みたいなことを何回も口にしていた。


でも、鈍感な俺は全く気づかず

「彼女いないよー」

「募集中なんやね!」

とめっちゃ流してしまっていたw


アイスを食べたあと微妙な空気になり、A子は先に家に帰ると言った。

A子のマンションまで3人で行き、


「なら私、途中まで米粒くんと同じ方向だから一緒に帰るわ」

とH美は話していた。


H美と帰っている最中、

機嫌が悪そうだというのだけなんとなくわかった。

チャリを漕ぐペースも早く、ガチャガチャ音を立てている。


15分くらい経った頃、ナフコの駐輪場でH美は急にチャリを止め、少し睨むような表情で見てきた。


俺は痺れを切らし

「なんなんだよ一体?」

と聞いた。


H美は小さな声で

「あ、ウチの家この近くだから

とりあえずここでいいけんちょっと話そ」

と言った。


そして

「あんた、どんだけ鈍感なん?A子の気持ち全く気づかなかったの?!」

と問い詰められた。


ポカーンとする俺。


H美は続けて、

「A子がモバゲーで米粒くんとやりとりしてて、会ってみたいって言ってたの。

それとA子はちょっと前に付き合ってた彼氏にフラれて落ち込んでたから、ほんとに新しい彼氏が欲しかったんだよ。今日のデート次第だけど米粒くんと付き合ってみたいとも言ってた」

とネタばらしをされた。


「もういい頃かな」

とH美はケータイを取り出して


「あんたちょっと静かにしてて!

これから米粒くんと解散したってことにして

A子の本音を聞くから」

と慣れた手つきで操作をしてA子のケータイを鳴らした。


電話中、H美に手招きされて

受話器からのA子の声を聞かされた。


その内容は

「私がストレートに言わなかったのも悪いけど、米粒くん気づいてくれない。

前の彼と別れて寂しかったけど

モバでずっと米粒くんとやりとりしてて、

けっこう好きだったから

米粒くんから告白してくれたら多分オッケーしてたと思う。

だけどもう脈なさそう。」


というようなものだった。


最後にH美から、

「気づかなかったのはもう仕方ないけど

A子のことを考えてあげて欲しかった」

と言われた。


それが真実なのか、無茶な要求なのかは

今はもう知る由もない。


女の子は告白を受け身の人が多いけど

当時の自分は今以上に輪をかけて空気が読めず気持ちがわからない子供だった。


ツレにもこの話をして以来、

「フラグブレイカーやな」

と言われるようになった。


「察して」

というのはものすごく難しい。

けれども、俺がもっと空気が読めたり

「相手の言葉の裏などを考えられる人だったらどうだっただろう?」


とか

「なんでストレートにしか捉えられないんだろう」

と本気で悩むこともある。


長くなったので一旦分けます。

次の記事では続きで

仕事での認識違いのことなどを‥

けっこう似たようなことのあるある!

があるかもしれないので


このめっちゃまとまりのない文章でも

また読んでくれたら嬉しいです😁


なら、この記事はここで一旦終わり!