それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

「食」で苦しんだ幼少期


どうも、米粒です!

俺はADHD自律神経失調症、うつを経験していて

さらに「食」について小さい頃から悩まされてきた。


順を追って話していきたいので、

まずは幼少期からの「食」についてのことを書いていこうと思う。


・物心ついたとき

これは3、4歳の頃に遡るが

すでに「野菜が食べられない」

ということが俺の記憶にある。

食わず嫌いではなく、実際に食べては吐き出していたと母さんから聞いた。


・幼稚園

4歳になって通い始めた幼稚園は、珍しく給食が出るところだった。

しかし食べれないメニューが多く、残してばかりだった。

幼稚園に入る前から母から好き嫌いの克服は何度もされたが、野菜は本当に受けつけられなかったのだ。

そして年中組に上がったある日、その日も給食が食べれず困っているときに突然母が幼稚園に来た。

そして先生に

「米粒のぶんの給食はもういらないです。

これからは私が弁当を作って持たせます。」

と話をして、翌日から本当にクラスで自分だけ弁当になった。

母の作る弁当には基本的に、苦手だけどなんとか食べることのできる野菜が1割程入っていてあとは自分の好きな食べ物が入っていた。


・小学校低学年

幼稚園を卒園して、米粒は小学校に入学した。

小学校1年生のときの記憶はほとんどなく、

地獄が始まったのは2年生になってからだった。


・お残しは許しまへんで!

忍たま乱太郎の食堂のおばちゃんがよく言っているセリフ。

米粒の小学2年生の時の担任の先生がまさにこんな感じだった。

まず、「いただきます」を言う前にその先生が

「今のうちに苦手なものがある子は減らしてきなさい!」

と教卓から声を張り上げる。

しかし、全部を減らすことは許されず、一口か二口ほどは絶対に食べろと言われた。


ここで大体、

1.一口くらいならと割り切って食べる子

2.嫌いだけど鼻をつまんで食べる子

3.泣き喚く子

この3パターンに分かれる。

米粒はというと見事に3の子でした‥ハイ。笑


いつの世代でも、どこの小学校でも3の子は昼休みになってクラスの子が遊びに出ているときも給食を食べていたりする。


漫画「ちびまる子ちゃん」でも、5時間目の前に給食を食べている男の子の描写があったのを覚えている。

「プリンは俺が食べてやる」

という少年のニセモノの優しさ

は当時かなり笑った。


・8歳でノイローゼのような症状に

残すことを許してくれない先生により、

当時8歳の米粒は

教室に貼られている献立表のプリントを見て

食べられないものが出る一週間ほど前から

「来週の◯◯、どうやって残そう‥」

と不安になっていた。

それは学校だけでなく、土日休みの家族で出かけているときも

「来週の給食どうやって残したらいいと思う?」

と家族に聞いていた。


・忘れられない日

米粒は現在28歳だが、この出来事は20年経つ今でも覚えている。

小学2年生の10月14日木曜日、前の週から不安になっていた苦手な献立の日。

一口すら食べることができない程、嫌いなものが入っていたのだ。

いつものように先生が「減らしてきなさい」と言い、

米粒は先生の隙をついて全部をボウルに残そうとした。

しかし先生に見つかり、こっぴどく叱られた後に一口をお皿に注がれて

「絶対にこれだけは食べなさい!先生見てるからね!」

と釘を刺された。

給食の時間の間に他の給食は食べたものの、サラダだけはどうしても食べられなかった。


昼休み開始のチャイムが鳴り、一斉に遊びに行くクラスメイトたち。

しかし食べ終わっていない野菜とずっと監視をしてくる先生。

耐えられずに米粒は泣き出してしまった。

「泣いてもダメです!食べなさい!」

先生の怒号が教室に響き、一層涙が止まらなくなった。

昼休み開始から5分くらいしたあと、

「先生は職員室に戻るけど、絶対に食べなさいよ!」

と言って出て行った。

しかし目の前の問題が解決したわけではない。


教室のゴミ箱に捨てたら先生にばれる。

残したまま給食室に持っていくにも職員室を通るため見つかる。

八方塞がりの状況でより一層泣いた。


そのとき目の前を見たら、サラダのほかにもパンが残っていることに気がついた。

小学校のルールでパンは家に持って帰っても良かったのだ。


一か八かで米粒はこっそりパンを2つに割って

その中にサンドイッチのようにサラダを挟んだ。

そしてパンを給食袋に入れて空になったお皿を給食室に持っていった。


家に帰ってからパンに挟まっていたサラダに気づいた母はびっくりしていたが、

いつも献立表を見てノイローゼのようになる米粒を見て何も言わなかった。


・先生も諦めた

10月の一件以降も、先生からの「食べなさい」と怒られ続けた。

押さえつけられて無理やり食べさせられることもあった。

しかしあるとき、

「もういい!」と怒って先生が教室から出て行った。

そして2年生が終わり、小学3年生になったときはその先生は別の小学校に異動したと母から聞いた。


しかし米粒の恐怖心はまだ治らず、3年生になりクラスと担任が変わったときに

新しい先生が

「先生に伝えたいこととかある人手を挙げてー!」

と言ったときに米粒はそっと手を挙げて

「お願いです。本当に食べれない給食は残させてください。」

と伝えた。


長くなるので3年生以降はまた次の記事で書きます。