それでも、強く生きる。ADHDの高校13年生

ADHDやその他いろんな症状を持つ自分が強く生きていくためと記録のためのブログ

「食」で苦しんだ小学校高学年時代

米粒です!


今回も前回に引き続き、給食についてのありのままのエピソードを書いていこうと思います


・小学4年生になってから


3年生を終えて4年生になった米粒は、まだ給食についてビクビクしていた。

しかし当時の担任は給食に関しては良くも悪くも関心を示さない先生で

給食のことよりも、4年生で同じクラスになった友達と悪いことをしていたほうが問題視されていた。

悪いことと言ってもお互い自我が芽生えてきたことによる価値観の違いによる喧嘩や

その友達とくだらないことをして笑って怒られてを繰り返していた感じ。


・4年生の夏休み


4年生の夏休みは今までの人生の楽しい部分が一気に凝縮されているのかと思えるくらい濃ゆい夏休みだったのを覚えている。

ふとしたきっかけで野球が大好きになり、将来は野球選手になるんだ!といつも言っていた。


その中でも友達と喧嘩した思い出が記憶に残っている。

当時、同じクラスでつるんでいた「ユウ」と夏休みにプールに遊びに行った。

プールで馬鹿みたいに遊んだ後、ユウの家で門限まで遊ぼうという話になって米粒は終始ウキウキしていた。


当時流行っていたゲームボーイアドバンスを二人とも持っていたので

マリオカートの対戦をして遊んでいた。

すると一階から「ユウ、米粒くんもご飯食べなさい!」とユウの母さんからの声が。


プールでお腹が空いていたので米粒は友達の家なのにダッシュで階段を駆け下りる。


リビングに着くと米粒は絶句した。


暑かったのでメニューはそうめんだったのだが、そうめんの上に細切りのきゅうりがたくさん載っていたのだ。


さらにキッチンからきゅうりの匂いがして米粒はすでに息を若干止めていた。


ユウがとっさに「母さん、米粒はきゅうりダメだって知ってるでしょ!」

と声を上げる。


ユウの母さんは忘れてたと言わんばかりにハッとした表情をしてそうめんのボウルをキッチンに持って行った。

そしてすぐにきゅうりが載っていないまっさらなそうめんが出てきて

「米粒くん、私うっかりしてて。ごめんね。」

と言ってきた。


「いえいえ‥」と申し訳ない気持ちになりながらいただきますをして米粒が箸でそうめんをすくったときに気づいた。

(このそうめん、さっきのきゅうりを取り除いただけ?)

ほんのわずかだがきゅうりの匂いと取り除き損ねたきゅうりが入っていた。


固まる米粒にユウは「どうしたんだよ、抜いたんやけん食べれるやろ」

と言うが米粒はどうしても無理で

ユウの母さんに

「すいません。取り除いたものだと匂いがまだ残っていて食べられません」と正直に言った。

ユウの母さんはびっくりしていたが

「じゃあそのそうめんはおばちゃんが食べるわ。新しいの作るから少し我慢しててね」

と再びキッチンに行った。


新しいまっさらなそうめんを食べて

2階に上がった瞬間、

「お前ふざけてんの?」

「抜いてもらっただけありがたいやろ!」

とユウが激怒した。

「食べれないんやから仕方ないやろうが!」

と米粒も引かず取っ組み合いの喧嘩になり、

米粒は家に帰り自分の母さんにこっぴどく叱られた。


のちにこのエピソードを中学生になってから同じ学校に進学したユウがみんなに言いふらしたせいで

中学時代から大人になった今でも飲みに行くとその話題になることがある。


・お昼は牛乳だけ


先生が何も言わないせいか、米粒の偏食はエスカレートしていった。

そして今でも覚えているのが二週間に一回か月に一回くらい、牛乳しか飲めない献立があった。

当時の給食は日にもよるがお皿が2枚、ご飯またはパンというのが基本だった。

しかしお皿のメニューがサラダと、もう一つも野菜の煮物みたいなものが入っていて

一口食べてもう無理だと思えるもの。

そしてその献立では好きな白米も無くパンで

パンは苦手なレーズンが入っていた。


なので、その献立の日は給食に一切手をつけず牛乳だけを飲んでいた。

不思議なことにお腹が空いていたという記憶は無いのに。


・初恋の女の子からのキツイ尋問


ユウやほかの友達と遊びまくって楽しかった4年生も終わり、米粒は5年生になった。

そして米粒は入学して初めて同じクラスになった女の子に初恋をした。

初恋の女の子、アスカはいわゆる優等生で

勉強もできてスポーツも万能、音楽の授業ではいつもピアノを弾くお嬢様。

小学5年生らしい発想だが、

「将来野球選手になってアスカを幸せにする」と毎日ノートの隅に書いていた。


そしてアスカに想いを寄せ始めてから2ヶ月ほど経ったときだろうか。席替えでラッキーなことにアスカの隣になったのだ。

米粒は歓喜した。


しかし、その歓喜もわずかな時間だった。


席替えの後の給食の時間、米粒の苦手な野菜が出た。

いつものごとく、最後まで手をつけずに残すつもりで野菜だけ残ったお皿。

これをアスカが見逃さなかった。

「なんで野菜食べていないの?」

「嫌いなの?」

「作ってくれた人に申し訳ないと思わんと?」

「もしこの世の中が野菜しかなくなったらどうすると?」

と問い詰められた。

そう、アスカは今まで同じクラスになったことがなかったので、米粒の野菜嫌いを知らなかったのだ。


・先生、米粒くんが野菜残してまーす


このセリフを学生時代何回聞いただろうか?

アスカは優等生なので周りも同じ考えを持っている女友達が多く、同時に仕切りたがりな性格のグループである。

先生もため息をついて

「米粒くん、もう5年生なんだからそろそろ食べなさい」と言ってきた。


アスカへの気持ちはすっかり冷めてしまい

席替えで別の女の子が隣になっても

決まってアスカの取り巻きの女の子から

「また残してる!」

「いつになったら食べれるようになるの?」

と攻撃されるようになった。


・先生からの陰湿な攻撃


小学校自体の学区が小さめで人数も少なめだった米粒の小学校では

もはや同級生と先生の間では

「野菜が異常に食べられないヤツ」

ということを知らない人がいないレベルにまでなっていた。


米粒の5年生のときの担任は新米の26歳の男の先生だった。最初こそはほとんど何も言ってこずに

「野菜食べんと大きくなれんよ」

くらいだったが、あまりにも米粒が野菜を食べないのと女子からのチクリによってある日突然態度が変わった。


小学校だと漢字ドリルや計算ドリルがあって宿題提出があるが、返却の際にノートやドリルに

「野菜!」

と書かれるようになり、

さらには4年生から野球選手を目指しているということを知った先生から

「野菜食べないと野球選手にはなれない!明日の野菜は食べようね」

などと赤ペンで書かれるようになった。


しかしどうしても野菜を食べない、または一口ほど食べて許してもらう姿勢をずっと貫いていた米粒は次第に先生も疲れてきたようで

女子からのチクリはまだ続いていたが、

「もう無理やったら残させなさい」

と返答していた。

女子は不満そうだったが睨んでくるぐらいだった。


・最終学年


色々あった5年生も終わり、米粒は晴れて6年生になった。

6年生の担任は米粒が2年生から知っている先生で、生徒の面倒見がよく明るい性格でみんなに好かれたいた。

米粒は6年生になってすぐに、

先生に「もう十分先生も知ってると思うけど、俺野菜食べられないんです。食べようとしても受け付けないというか‥」

と不安そうに打ち明けた。


先生は米粒の手を握り

「好き嫌いは仕方ない。先生にだってある。ただ、もう6年生だからできることをしよう。」

と笑顔を見せた。


上の言葉は噛み砕いた言い方をすれば

「頑張って食え」ってことだし他の先生と変わらないのだが、米粒はこの言葉でなぜか安心感があった。


・挑戦


6年生になって変わったのは担任だけで、

クラスのメンバーは5年生と変わらなかった。

なので5年生のときからのアスカグループが隙あらば攻撃をしてくる。

本当に鬱陶しかった。


それが6年生のとある給食で少し米粒は変わった。

その日出た給食の中にはトマトがあり、姉も自分も苦手な食べ物。

いつもの女子の「米粒くんが残してまーす」から始まり、先生がやるだけやってみようよと優しく声をかけてくれたことにより、米粒は一口だけトマトを口にした。

実際は相当キツく、その一口すら吐きそうになったが、

クラス全員がスタンディングオベーションになった。


それ以降、どうしても食べられないこともあったが全部残す日、一口食べる日などを重ねて女子からも何も言われなくなった。


そして時は経ち、米粒は無事に小学校を卒業した。


・まとめ


好き嫌いは多くの人があると思うし、なかでも食べれるものが限られてくる人はかなり苦しい思いをすると思う。

米粒は今28歳だが、結論から言えば未だに野菜は大の苦手である。

それでも今普通に生活できているし

なぜか野菜ジュースやスムージーは飲めるのだ。

「野菜ジュースとか全く意味ない」

って言う人もいるだろう。

しかし野菜嫌いな人からは

「何も摂らないよりは全然いい」のだ。


しかし、全ての悩みが解決したわけではもちろんない。

米粒は小さい頃からの野菜嫌い、会食恐怖症などなど色々抱えているので

次回の記事では会食恐怖症をメインに書いていこうと思う。


長々とありがとうございました。


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