自律神経失調症によるすれ違い。
米粒です!
今回は前回の続きという感じで、自律神経失調症の症状の始まりからの展開をしていきます。
前記事はこちら↓
https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/10/05/023755
※これは米粒自身が高校3年生のときに体験した、自律神経失調症の記録です。
自律神経失調症やいろんな症状を思い出したくない方、または記事を読んでいてしんどくなった人は
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ですがありのままを伝えたいのと、自分と同じような症状で悩んでいるという人の参考に少しでもなればと思って書いています。
内容が重いのでせめて友達と話すような砕けた文調になることをお許しください。
・肺炎と診断されてから
高3の秋、10年前のこの時期に俺は肺炎と診断された。
肺炎やったから2日後からの中間テストはもちろん行けず、内申がどう響くか気が気じゃなかったわ。
肺炎は10日くらいで完治はしたけどさ、
お風呂は絶対入ったらいかんって医者に言われて
10日風呂に入れんかったのが一番きつかったかもしれん。
んで吐き気も少し続くからほとんど食事が喉通らんやった。
医者に「連休明けには今まで通り学校に行けるでしょう」って言われたし、実際連休最終日の夜は比較的体調良くて「これなら大丈夫かも」って思ったんよ
連休明けの10月13日、俺は肺炎なる前の体調不良以来2週間ぶりくらいに学校行ったら、アウェイなクラスでも友達や女子が心配してくれた。
だって俺もともと痩せ型なのに、食事喉通らんから2週間で5キロ落ちたから。
久しぶりの学校はきつかったわー、体力落ちてたのと休み明けなのに朝課外プラス7限、放課後課外だから11時間ぐらい学校やったわ
帰ったら流石に疲れて、ゆったりしながら母さんが買ってきたカツ丼を食べたんよ
たらさ、2週間ほとんど食べてなかったのにいきなりカツ丼をがっつり食べたら胃がびっくりしたんかわからんけど
めっちゃ胃もたれが激しくてさ
寝てても吐きそうなくらい気分悪くなったわ‥
でも吐くの怖いから必死にミンティア噛んだり、右向きに寝たりしてこらえたの。
幸い、吐くよりも先に眠りに落ちたから
その間に消化されたから良かった😁
10/14日。
朝起きたら前日いきなり無理しすぎたことがあって吐き気はあまりなかったけど体調が優れんで
母さんも親父も無理するなって言ってくれたから朝イチで学校に休むと連絡して休んだ。
10/15日。
あまり体調は良くなかったけど、朝課外から登校。
朝課外は政治経済だった。
俺政経の先生すごい苦手だったんよ
なんかいかにも昭和のスパルタ教育って感じのおじさんでさ
やからなぜか変に緊張してしまって。
そしたら課外中に頭がボヤーンってなって
めまいと吐き気が来たんよ
「やべ、またか‥」って思ったけどまだ終わるまで20分近くあったし
でもこのままこの空間におったらまじでやばい、
吐くとかそういうレベルじゃなくて、なんか死ぬんじゃないかって怖さが俺を襲ったんよ。
もう先生の言っとることすら全く入ってこんし冷や汗も出てきて、
「先生‥ちょっとトイレ行ってきていいですか‥?」
と恐る恐る聞いた。
普段はクラスの人がトイレに行きたいと言うと
行くこと自体は許してくれるが
「休み時間に済ましとけ!アホ!」
と怒鳴る先生。
怒られるかなーって思ったけど、多分顔色も悪かったのかもね、
「ああ、行ってこい。」
とあっさり許してくれた。
そこから15分くらい再び個室にこもり、ミンティアを噛みながらいつ吐きたくなったときでも大丈夫なようにした。
少し症状は落ち着いたけど、やっぱ明らかに体調がおかしいけんさ
友達に「保健室行ってくる」
って言ったら「また?」って言われて
それがちょっと心に刺さったような気がした。
結局保健室に行って無理しなさんなと言われて早退許可をもらって帰宅。
・医者と親父からの厳しい言葉
親父は当時、タクシードライバーだった。
あの約丸一日働いて次の日は明けってやつ。
やから2日に1回は必ず家におるわけ。
10/15日の早退をした日、親父は明けで家に居ったんよ。
その日までは、「無理するなよ」と声をかけてくれた。そう、その日まで。
早退してから肺炎のときに診てもらった病院に行って症状を伝えたら、60代と思われる医者から
「それは単に甘えだよ。先生は毎朝5時に起きて学校に行ってた」
みたいな武勇伝というか根性論を言われ、それでお金を払うのがバカらしくなったね。
10/16日金曜は学校を欠席。次の土日は学校が休みだったけどずっと体調が悪いのは変わらず。
朝起きたら、
倦怠感
めまい
立ちくらみ
吐き気
これがランダムで起こる。
そして人ってさ、耐えられるキツさと耐えられないキツさってあるやん。
例えば腹痛は何時間でも我慢できるけど
頭痛は1時間も我慢できんみたいな。
俺の場合は腹痛とかはよほどひどくない限り学校や職場も耐えれるけど
めまいとか吐き気が来た時は30分も無理かもしれない。
そんな酷い症状が毎朝起きたら続くとか
前世で何か悪いことをしたんじゃないかと思っていた。
週が明け10月19日月曜。
学校へ行く準備はしていたものの、相変わらずのめまいと吐き気で欠席。
リビングで座っていると部屋から親父が起きてきて
なんで家にいるんだというような目で俺を見てきた。
そして
「もういい加減治らんのか?這ってでも学校行きーよ。もう受験なんやから今まで習ったことを反復すればいいだけやから簡単やろうもん」
と言われた。(10年前なので一語一句は忘れたけどこんな感じのことね)
10月20日火曜。
前日の親父の言葉が刺さっていたのと相変わらずの体調に母親がやっぱりおかしいと思って
違う病院に行くことにした。
やけど母さん原付しか免許なくて
病院までの道中、徐行レベルで走る母さんの原付の後ろを離されないようチャリを漕いだのもしんどかった。
その病院では「倦怠感などはともかく、めまいと吐き気さえどうにかなれば学校に行けます」
的なことを伝えたかな。
・もう胃カメラは嫌だ
10月20日から行った病院は内科やったから、吐き気やと胃潰瘍かもしれませんってことで
翌日胃カメラ飲むことになったんよね。
あれがあんなにきついとは‥。
10月21日、学校を休んで病院で胃カメラを飲んだ。
その当時から麻酔で寝ているうちに胃カメラが終わるというのもあったみたいやけど
経過がわかると言って、起きている状態で鼻からチューブを入れられるというまさにこの世の地獄だった。
何度もえずき、つばもろくに飲み込めず飲み込んだらものすごく痛いし苦しい。
多分この先、大金を積まれたとしても起きた状態の胃カメラはお断りする、ゼッタイ。
結果的に胃潰瘍ではなかったが少し胃に傷がついていたのと、ガッツリ胃下垂ですね🤔という診断が。
お医者さんは「食事をいっぺんに食べることができないでしょうね」と言われ、今までも食が細かったのが納得できた気がした
・なんとか学校に行く日々
政経の授業を早引きして以来、死にそうになった空間が怖くなったのとランダムで起こる自律神経失調症の症状で朝から学校に行くことがあんまできんくなった。
んでその空間に授業中に入るってのがめっちゃ嫌いやったから
1限や2限が終わるタイミングくらいに学校着くようにして
休み時間になったら教室に行くようにしてたな🤔
それで10月はなんとか耐えた。
・模試で閉鎖空間のフラッシュバック
11月1日、日曜日。
体調が悪くなる前に申し込んでいた校外模試があることを担任から言われてた俺は
中学から高校も同じ同級生と朝集合し
最寄りのバス停におったんよ
久々に会った友達と
「お前休みすぎやろーw」
「うるせえ!このキツさなってみんとわからんやろ!w」みたいな会話をしながらバスを待ったなー
んでそれまでは平気やったんやけど
バス停に着いたバスが日曜やけんかけっこう人乗っててさ、急に不安なったわけ。
友達に「ちょ、先乗ってていいよ。次のバスで行くわ」と言ったけど
「これ逃したら間に合わんやろ!さ、気にせず行くぜ!」と背中を押されバスに乗り込んだ。
何度か降りたいって思ったけど、友達が話しかけてくれたりガムをくれたりして意外に大丈夫だったのが記憶に残っている。
バスと電車を乗り継ぎ、会場の大学に到着した。
最初の英語は乗り切ったものの、次の国語のときにいつもの吐き気が襲ってきたんよね
今すぐトイレ行かんと間に合わんってほどではないけどなんか少しの症状がずっと続く感じ。
やけど抜け出せない閉鎖空間で模試の90分があんなに長く感じたことはこの後も多分ない。
なんとかチャイムが鳴って昼ごはんの時間になったものの、ご飯を食べるどころか休み明けの授業を受ける気力も残っていなかった俺は、試験監督に事情を話し帰してもらうことにした。
バスで25分、電車で20分ほどの会場をまた公共交通機関で戻るのは無理だと思い
その日出勤だった親父に電話をかけた。
「どうした?今大学におるんやないのか?」
「おるけど体調が悪くなって今から帰る。あれやったら来てくれん?」
その言葉に親父は電話越しでもわかるため息をついて
「もういい加減にしてくれよ。どこがどうあるんや。」
と口にした。
「それが明確にわかるんやったら俺だってこんなに苦しんでないわ!お願いやけん来て、もうバスとか電車で帰る気力ないわ」
自分でも電話の声が自暴自棄になっているのを感じた。
「‥わかったわ。やけど大学まで時間かかるからどっかで待たせてもらっとけ」
と言って俺の返事を聞かずに通話を切った。
11月の寒空の下、ほとんど知らない大学。迷ってはいけないので正面玄関の近くで親父を待った。
まだ昼休憩の時間やったから
自分の学校の人や他校の人がぞろぞろと歩いてきていた。
8月にメールをずっとしていた高嶺の花子さんもいつもいる女子グループと笑いあって渡り廊下を歩いていった。
その光景がとても遠く感じた。
「俺だって高校生活楽しみたいよ」
と自身の体調を恨みながら親父を待つ。
ひたすらメールの受信履歴を見たりして良かった時期を思い出したりしていたときに親父から「玄関着いた」とメール通知。
すぐ玄関に行くと対向車線に見覚えのある黒色のタクシーがあった。
窓越しでも親父が不機嫌というのが表情でわかった。
それから家までの40分ほど、ひたらすら親父からの
「いつになったらよくなるんだ」
や
「こっちだって体調悪くなるわ」
「なんか悩みとかあるんやったら話してよ」
言葉を言われそのたびに刺さっていた。
親父が心配なのは勿論18歳の当時でもわかっている。
俺が父親で18歳の長男がいたとして
高3までずっと学校に休まず行っていたのが殆どまともに行けなくなったならかなり不安で問い詰めたくなるだろう。
だけど俺はもし父親になることがあり
自分の子供がそうなったとしても
できるだけ責めずに見守ろうと思っている。
なぜなら、親父に言われ続けたことが実は一番のストレスになっていたから。
決して学校が嫌だったわけじゃない。
サボろうという気もないし、元気になって学校に行きたいという気持ちがあるのに体調がそうしてくれないという空回りが続いていた。
スタンドを立てている自転車のペダルをがむしゃらに漕いでいるような感じ。
体調の他にも進路のこと。高嶺の花子さんのこと、クラスにいづらいことなど悩みはたくさんあった。
家に着き、親父にありがとうと言った。
親父は「明日から学校にはちゃんと行くんだぞ」と言いまた仕事に戻った。
それからその日は母さんと進路についてとことん話し合った。
前の記事でも話したけどさ、俺って大学に興味がなかったわけ。んで高2のときから美容学校行きたいって思ってたし、クラスの雰囲気にほんとに馴染めなかったこととかをもう洗いざらい話した。
母さんは「米粒の人生だから何も言わない。その代わりお父さんは頑張って説得させないかんね。あと担任の先生も。」
そんなんだ。それがネック。
担任はある程度のレベルの大学以下は願書を書かないと言っていたし、親父は「とりあえず大学には行っておけ」と口癖のように言っていたのだ。
長くなったので一旦ここで切ります
次回は説得から残りの高校生活について書いていこうと思います!
ありがとうございました😊