イベントとこれから。
米粒です!
本格的に寒くなってきて
バイクの運転がつらいです😨
今回は、高校生のときの自律神経失調症の話の前に、今日行ってきたイベントと
これからの自分の活動について話していきたいと思います。
あ!基本的にツイッターにブログを載せていて、ツイッター経由で来られる方がほとんどだと思いますが、
検索などでもしツイッター以外で来られた方のためにツイッターを載せておきます。
@JdSsj77659
米粒しゃちょー
こちらにも普段のつぶやきやいろんな情報を載せていますので是非ご覧ください。
11月ごろにツイッターをしていたら、
話をするイベントがあると知り
会場がバイクで30分ほどの距離だったので
これは行くしかない!
と思いオフ会に初参加してきました。
最寄りの駐輪場にバイクを停め、
歩くこと数分‥
あれ、会場どこ?🤔
Google MAPに載ってるところとは反対の方向に会場入り口があり、区画一周しました(笑)
ちょうど参加された方とも一緒に迷っていました😅笑
会場に着くと俺の顔はツイッターで出してなかったにも関わらず、
「米粒さんですね?」
と暖かく迎え入れていただきました。
今回集まったのは8人。
職業も年齢もバラバラ。
ただ、参加者の話を聞いて
共感したことがとても多かった。
そして、家族や友達から
「発達障害への理解してもらえない」
という問題が自分だけではなく何人もいました。
親に理解されず帰ろうにも帰れない人。
友達に言えず一人で抱え込んでしまうという人。
また、仕事で
なんでこんなこともできないんだろう?
と自分を責めてしまうとか。
そして悩んで鬱になったり
体調を崩したりする
という自分自身と同じ境遇の方が多かった。
ツイッターやブログは文字やけど
今日のオフ会では当事者の方との顔や目をしっかり見て話をしたり聞いたりすることができ、いつもとは違う体験ができました。
文字では伝わりにくいことも、
表情や口調で分かることもある。
あっという間の3時間でした。
余談にはなりますがその後残った人たちと初めてメイドカフェに行ってきましたw
あの空間は普段は絶対目にできない←
そして最後に自分含めて3人と公園でお話をして解散。
参加された皆さん、今日はありがとうございました。😁
・米粒のこれから。
俺は11月で前の会社を辞めて
先日からまた新しいところで働いている。
その傍ら、ブログで発信を続けている。
そして11月に目標として掲げていた、
本の出版に向けて再スタートを決意。
今回のオフ会で、みんなで本の出版の目標が挙がったことは嬉しかった。
11月に自分自身、目標として立てていたものの、
正直わからないことだらけだった。
身近に本を出版している人も居なければ、
ネットで調べても雲の上のような遠い世界の話のような気がして、ブログは更新していたものの本の出版については11月は何もできていなかった。
だけど、少しずつでも
読みにくい文章でも
発信することで共感してくれる人もいるし
「こんな考えの人もいるんだ」
と参考にしてくれる人もいる。
そして、自分自身が本を読んだり
ブログを書いたりすることが苦ではなく
むしろ好きなほうなので
更新頻度はまだそこまで高くないけど
発信することで自分のことを知ってもらえたり、いろんな意見を聞けると思った。
そしてありがたいことに、
ツイッターで自分のブログを見て頂いた方からDMで自律神経失調症についての症状の相談を受けたり、会食恐怖症について書いた記事が読みやすかったなど
お褒めの言葉をいただいた。
少しずつやけど続けたことで必要とされる存在になれたかな?と感じた。
飽きっぽい性格やからなかなか大変だけれど、これからも発信は続けていきます!!
・完璧主義はなるべくやめる
発信は続けていくけど、
毎日更新はしません。
自分の性格上、割と完璧を求めてしまい
完璧にできなかったら自分を責めてしまう傾向が昔あった。
それで精神的に落ち込んだり
うつ病になったりした。
もちろん、完璧主義にならなければいけない物事や仕事もあるけど
自分と向き合ったときに
「度を超えた追い込みは死ぬ」
と思ったことがあった。
完璧主義で追い込んでしまいそうなとき、
俺は「ゆってぃ」さんの動画を観るようにしています(笑)
脳内ではよく
「ちっちゃいことは気にすんな🎵」
とあのリズムを流しています(笑)
やから自分のペースで絶対に無理はしないように。
ゆっくりでもできることならやろうと思って
います。
だからツイッターでよく見る
「ホメ療法」
はすごく素敵なやつだと思ってる。
「ほとんどできなかった」と責めてばっかやったらいつか絶対潰れるし
「たとえ2パーセントくらいしかできなくても前よりはちょっと進めた」
くらいの気持ちの持ちようが大事だと思ってる。
まとまりのない長い文章で申し訳ありませんが、
「言わないと伝わらない」
という思いで自分は発信しています。
その辺のお話はまた別記事で。
まだまだ自分も勉強不足で
未熟者ですが応援して下さる方はよろしくお願い致します✨
#うつ病
#会食恐怖症
#発達障害
#ADHD
10年前のとある長い一日。
米粒です!
早いもので、2019年もあと1ヶ月を切りました。
ブログを開設して3ヶ月目になったので
いつもの自律神経シリーズではなく
もっと気の利いた記事を書こうと思いましたが
ネタが思いつかなかったので
今回は引き続き、10年前の自律神経失調症になったときの振り返りシリーズを書いていきます。
前記事はコチラ↓
https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/11/22/002031
ではいこう!
心療内科を受診してから、症状は少し落ち着いたものの、まだ寛解したわけではなく
まだトンネルは続いていた。
しかし12月13日の試験日まで時間はない。
幸いにも高3の12月からは自習がかなり増えたから専門でもらった問題集をする時間はあった。
国語か英語のうちどちらか1教科の試験で
米粒は国語を選んだ。
12月11日。米粒の高校は毎年この時期くらいに終業式があり長めの冬休みに入る。
俺はかなり気持ちばかり焦っていた。
専門の問題集を解く傍ら、大学受験はしないと決めていたのでアルバイトを探していた。
コンビニで求人誌を持って帰り、高校生でも働けるよころを探した。
高校は進路決定してようがアルバイト禁止だったので
絶対に見つからないところをと思い博多駅から電車で15分ほどの駅の近くの仕分け工場に応募した。
面接日時が専門の試験日と被ったものの
面接は夕方からだったので試験終わりに向かえば間に合う。
・試験日
2009年12月13日。日曜日。
試験日は体験入学の日と同じく体調は良かった。
バスが苦手な俺は相変わらず1時間くらいチャリを漕いで向かった。
無造作にセットしていた髪の毛が、F校に着いたときには爆発していたのを覚えている。
案内された教室は以前体験入学したところとは違い、
ホワイトボードと長椅子が置かれた教室だった。
高校の教室よりも段違いにきれいだったものの。
その日、特待生試験を受けに来たのは俺とあとは4人ほどみんな女の子だった。
淡々と高校のテストと同じような感じで説明があり、国語の試験が始まった。
最初の長文は高校の現代文の授業嫌というほど読んだので手応えはあった。
しかし、漢字が出てこなかった。
高校に入って携帯で文字を入力するようになってから漢字を書かなくなったしっぺ返しが来たような感じ。
時間内に全て解けはしたものの、特待生に受かるかどうかは疑問が残る結果だった。
・寄り道
特待生試験を終え、F校を出た俺は
博多駅に向けチャリを走らせた。
体調はいい。
ふと途中の信号待ちで携帯を開く。
電車の時間を考慮しても、試験が予想よりも早く終わったので時間が余っていた。
俺は方向を変え、福岡の有名スポット
「キャナルシティ」に向かった。
俺は中学と高校時代に何回キャナルに行ったか覚えてないほど行った。
高2のときはいつもつるんでいたツレと学校帰りや土日に予定がなくてもぶらぶらしていたほど。
日曜日なのと冬休みだからか、いつもよりも人がごった返していた。
友達と遊ぶときのようにゲーセンに立ち寄り、駄菓子を買い、マツキヨに行ってワックスを見た。
ここまでは高2までの王道ルートだったが、
その日はマツキヨでワックスを見たあと初めてヘアカラーのコーナーに足を運んだことを覚えている。
もともと、地毛がやや茶色だったものの
高校を卒業したら金髪にしたかった。
ブリーチ剤を手に取り、
「早く卒業したいな」
という気持ちになった。
キャナルを出たあとは博多駅の目の前のブックオフで立ち読みをした。
当時はお小遣いで今よりもお金がなかったので、チャリにも関わらず色んなブックオフをハシゴして目当ての漫画が105円で売っているのを探すのが楽しみでもあった。
・アルバイトの面接
時間が来たので、博多から電車に乗った。
バスよりは揺れが少ないのでなんとか電車には乗れたものの、やはり乗り物酔いしやすい俺は一抹の不安はあった。
幸いなことに比較的空いていたので
ガムを噛みながら音楽を聴いていた。
15分後、とある駅に着いた。
この駅に来るのは2回目。
普段遊びで来ることはないが、高2のときに英検の二次試験の会場が近くだったのでほんの少し土地勘はあった。
まだ携帯の地図も発達していなく、
リュックに入れていた地図帳を見て歩いた。
駅から10分ほどで面接地に着き、初めての面接だったので緊張して「面接に来ました」
という一言すら噛んでしまった。
担当の方が来て挨拶をする。
規則が厳しい高校だったので礼儀は大丈夫だったと思う。
「では、履歴書を見せてください」
と言われた。
面接の二日程前に履歴書の書き方がわからず姉ちゃんに教わった、学校の制服姿で撮影した写真と
〇〇〇高校卒業見込み
職歴なしというきれいな履歴書。
教わったけど合っているだろうか‥?
俺はおそるおそる担当の方に差し出した。
見せてから2秒後、面接官は
「え!君高校生なの?!」とびっくりしていた。
「はい。」ときょとんとしながら答える俺
「高校生不可なんだよ〜」
と残念そうに言う。
「18歳以上って書いてあったじゃないですか、雇えないんですか?」と聞いたが、大学一年からオッケーということだった。
せっかく博多駅から時間とお金をかけてきたのに。
帰りの電車の中で母さんから「面接どうだった?」とメールが来ていて、
「高校生不可だって」と返すと
「はじめから言ってくれればいいのに!」
と怒りの絵文字が入っていた。
博多駅から家にチャリで着いた頃にはすっかり日が暮れていた。
しかしここ数ヶ月の間、こんなに遠くまでそして長く外出していたことはなかった。
そして体調も悪くなることはなかったので
この日はいい経験になった。
この積み重ねから俺は少しずつ治るほうに行ければなぁ
としみじみ思った高3の冬だった。
次回は残りの高校生活からまた書いていきます。
読んでいただきありがとうございます!
#福岡
#博多駅
病院をハシゴする18歳。
米粒です!
今回はいつもの高3のときの自律神経失調症になったときの続きを書いていこうと思います。
前記事はコチラ↓
https://grainofrice.hatenablog.com/entry/2019/11/07/015311
ではいこう!
・11月後半
相変わらず体調が万全ではなく
毎日風邪をひいているような状態だった。
テストも教室で受けるのが怖くなり、
保健室横の会議室でヘロヘロになりながら受けたりもした。
かと思えば学校終わりに友達とカラオケに行けるほど元気な日もあって厄介だった。
・11月29日の日曜日
学校は休みで、ゲームをしてから宿題をやると決めていて
リビングでゲームをしていた。
すると親父が部屋から出てきて
「おい米粒。〜の役所に行くから良かったら行かないか?」
と聞いてくる。
役所は車だと片道10分。
ろくな用事でもなさそうだったので
「あー今日宿題するからパス。」
と言った。
すると
「ゲームしよるやないか。いいから来んね。」
と誘ってくる。
こういうときの親父は本当に面倒だ。
俺が小学生のときから、自分一人でもいける用事に誘ってきて断ると「いいやん行こうよ」と何回もしつこく言ってきて
それを断ると拗ねてひどい時は1週間ほど口をきかないこともある。
それが面倒だったので一緒に行くことにした。
役所に着くくらいの信号待ちの時に
「もうお前は受験もまともにできんし、学校へは行かんし将来どうするつもりなんや」
と言ってきた。
「行きたくないわけやないわ!遅れてでも頑張って行っとるのにケチつけんな!」
カチンと来た俺は声を荒げてしまった。
「同じクラスのみんなは受験するっちゃろうもん!努力することから逃げとるようにしか思えんわ!」
と言われた後、俺は気分が悪くなった。
(俺だってこの体調不良がなかったら学校にも毎日行けてる)
(なんで俺ばっかりこんな目に遭わないといけないんだ)
そういう思いと悔しさがこみあがってきた。
手続きを終えて帰りの車の中、俺は猛烈な吐き気に見舞われた。
片道10分。そしてほとんど平坦な道なのに。
もう、親父と一緒にいる空間ってのが耐えられなくなったんだろう。
助手席をギリギリまでリクライニングし、
親父の小言を遮るためにイヤホンをした。
なんとか家に着いてリビングにあったお茶を飲むと落ち着いた。
親父からこんな距離で酔うとかメニエールじゃないかと言われ、ガラケーで必死にメニエールに着いて調べた。
・期待が木っ端微塵
日曜の昼からの運転で体調が悪かったので、
次の日の学校も2時間目が終わったあたりで向かった。
昇降口に着いて教室までを歩く道中、クラスの男子2人とすれ違った。
するとその2人が
「あいつまた遅刻してるよw」
「卒業できないんじゃね?」
とヒソヒソ声でもわざと聞こえるように言ってきた。
それも俺の心が折れた一つの要因でもある。
12月1日火曜日。
精神的な不安で体調不良を起こしていたのだが
当時は知る由もない。
相変わらずめまいと吐き気で悩んでいた俺は
高校までの通学路沿いに耳鼻科があることを思い出した。
ここへ行けば治るかもしれない。
そう淡い期待を抱き、病院のドアを開ける。
出てきたのは初老の男の先生。
「どうされました?」
「めまいや吐き気がもう1ヶ月ほど続いている状態です。」
も病状を話す俺に
「それは大変だったね。」
とゆっくり話してくれる先生。
「とりあえず調べてみようね」
と一通りの診察を受けた。
これだけたくさんの診察をしたんだから、きっと何かしらの異常はわかるだろう。
それさえ対策をすれば、また学校へもしっかり通える。
待合室で結果待ちの俺はそういう期待でワクワクしていた。
「米粒さんどうぞー」
看護婦さんから呼ばれ、初老の院長の前の椅子に座る。
院長は
「うーん‥なんの異常もないね。」
と首をかしげる。
「そんな!」
と俺は身を乗り出してしまった。
「とりあえず吐き気止めの薬を出してもらうから。」
と用意された薬は10月に内科でもらった薬と同じだった。どうやら吐き気止めにはいいらしい。
「これ以前内科でもらった薬なんですけど、あまり効かなかったんですよ」
と言ってみる。
「あー、効かなかったら二錠飲めばいいから」
とめんどくさそうに答える院長。
一気に期待を裏切られたような気分になり、
憂鬱な気分は晴れないまま次の日の学校も欠席した。
突然の帰省
12月2日。
学校は欠席しずっと布団にくるまっていた。
食欲もあまりなく、病院に行っても意味がない。
これからほんとに俺はどうしていけばいいんだろう‥
すると家のチャイムが鳴った。
母さんも親父も仕事で出ていたので、俺が玄関に向かった。
ドアを数センチ開けるとどこかで見たことのある顔が。
仕事で県外に出ていた姉ちゃんがたまたま休みがとれて家に戻ってきたのだ。
面影があったから良かったものの、
黒髪ボブだった学生時代から
明るい茶髪に眉毛がほぼ無い姿はちょっとびっくりした。
一緒にリビングで話していると
「そういやお母さんから聞いたよ。あんた体調ずっと悪いみたいやね。」
と話題が上がった。
「そうなんよね。」
姉ちゃんがガラケーを取り出し、あるサイトを見せてくれた。
サイトにはチェックリストがあり今の症状がどんなものかを調べるようなものだった。
「私は米粒じゃないけんわからんけど。
お母さんから聞いたあんたの症状を聞いて調べたら
多分自律神経失調症なんやと思う。」
と教えてくれた。
10年前の俺はまだ初めて聞く言葉だった。
姉ちゃんはそのサイトを俺にメールで送ってくれた後、遊びに出かけてしまった。
しかしその症状なら、今の治療法がわからない状態から立ち直れるかもしれないと米粒は嬉しくなった。
12月3日。
親父も母さんも休みで家に居たが
親父は前日の徹夜で寝てしまっていた。
母さんが新しくできた良さげな内科を紹介してくれて
チャリで15分ほどの距離だったので向かうことにした。
そこの病院でも血液検査やMRIなどさまざまな検診があった。
しかし心の病気なので、身体的異常は一切なかった。
お医者さんから、
「もし望むようでしたら心療内科を受診してみてはいかがでしょう?紹介状を書きますので。」
と提案された。
高校生のときの俺は心療内科=よほど精神的に追い詰められている人が行くところと思っていて、あまり嬉しくはなかったのを覚えている。
週明け12月7日月曜日。
予約していた心療内科の受診日。
母さんと待ち合わせという形で病院に向かう。
最寄りの大きな駅の近く。
チャリで20分ほどだった。
母さんより早く着いてケータイを開く。
SNSを見ていたら友達が
「最近米粒全然学校来てない」
とか
「サボり率が異常」
など書かれていて落ち込んだ。
母さんがほどなくして着き、病院に入る。
どことなく内科等の普通の病院よりも静かな気がした。
30分ほど待ち、診察室へ通される。
病院が変わる毎に病状を説明するのが大変だったので
○月×日は〜な症状があったなどを
事細かくルーズリーフにまとめたのを提出すると、お医者さんはブラインドタッチでパソコンに打ち込む。
自律神経失調症の疑いがあると診断され、薬を処方してもらった。
「2170円です。」
といういつもの病院での会計をする母さんを見て
ふと
「いつまで俺は迷惑をかけてしまうんだろう」
と悲しくなってしまった。
病院で処方された薬を飲み、なんとかまた学校に通う日々が続いた。
次の日曜はF校の特待試験。
続きます。
#高校生
#病院
#専門学校
うっかり者の高校生。またやらかす
米粒です!
寒くなってきて体調を少し崩していますが
それでも強く生きるという信念のもと
毎日過ごしています😁
皆さんも体調にはお気をつけください。
今回はね、いつもの高3のときの不調の話だと気が滅入るから、まだ元気だった高1のときの話をしようかな。
くだらない話にはなると思うけど聞いてくれ。
これ、先日高校時代の友達と電話してて思い出したエピソードね。
俺さ、高校に入学してからも
ADHDの特徴?か知らんけど
朝いつもギリギリでチャイムと同時に体育教師が立ってる玄関をダッシュで通ったりして注意されてたし
指定の靴下は部屋のどっかに脱ぎ捨てて行方不明になるし
親指くらいの大きさのネームプレートをつけてないと体育教師からめっちゃ怒られる高校なのに、家に忘れる、洗濯するなどで
体育教師にもう呆れられるレベルになっていた。
さらには高1の5月に、友達と同時にクラスで初めて携帯見つかったんよね。
やから結構問題児扱いされたんよ。
んで靴下とかはその都度売店で買わなきゃ行けなかったから、高校のときは靴下代が高くついたなあ🤔
ただ、売店のおばちゃんはめっちゃ気さくでさ
「今日もギリギリだったの?もっと早く起きなさいよ笑」
と話しかけてくれていた。
「俺にとって午前中は活動する時間じゃありませんからw」
とか言って盛り上がってたなあ。
んで売店行くたびにそのおばちゃんと
携帯没収された話
担任から邪険にされてた話
部活がきついって話
とか色々、行くたびに話すようになった。
そして高1の冬くらいになると、
売店は顔パスになった。
俺が高1のときアホみたいに飲んでいたカフェオレを取り置きしておいてくれて
「105万円ね。払い終わるまで学校に通いなさい。」
というギャグも飛ばされるようになったんよね
俺も負けじと
105円のカフェオレに対して100円を出して
「お釣りはいらないぜ(キリッ)」
みたいなとてつもないくだらないことを言ってたなあ。
んで高1の2月のこと。
ピークがあけた売店に行き、
「今日もカフェオレ?」
って聞いてくるおばちゃんに対して
「すいません、おばちゃんってもらえますか?」
と財布を出しながら言ってみた。
もちろん悪ふざけ。
おばちゃんはめっちゃ笑いながら
「高校生のあなたが持ってるお金くらいじゃあ、私は買えないわねぇ〜」
と一蹴。
それだけでも恥ずかしかったのだが、
おばちゃんは続けて
「米粒くんって1年だよね?何組なの?」
と聞かれて
「1年6組ですよ!」
と答える。
するとおばちゃんはびっくりして
「うちの娘と同じクラスだったのねw」
と言う。
え?
娘さんいたの?
てか同じ高校だったの?
んで同じクラスだったの?
そういやおばちゃんの名前知らね🤔
苗字を聞いたら一度も話したことのない存在だけ知ってる女子でした。
これが仲良い女子とかなら
「今日売店でお前のお母さんにさ〜w」
みたいな話をして笑いあえるけど‥
話したこともない女子とかめっちゃ気まずくなるやつやんww
それから卒業まで売店には相変わらずバカな話をしに通いましたが、
おばちゃんが娘に変なことを話していないか気が気じゃなかった高校時代だった。
というお話。
ああ、元気な頃の高校時代に戻りてー!笑
ならまた次の記事でね。
体験入学。新しい世界。
米粒です!
今回はまた、高校時代の自律神経失調症のときの続きを書いていきたいと思います。
毎回まとまりのない文章ですいません‥
いつも読んでくださっているみなさんに感謝しています。
ではいこう!
・学校選び
親父からは反対されていたものの、母親と担任からは専門に行くことを認められた。
反対を押し切ってでも自分の人生だから
行きたいと思ってた。
朝起きてから学校に行くまで
学校から帰って寝るまで
当時はガラケーであまり調べていなかったから、学校から配布された大学、専門一覧みたいな分厚い本を見よった。
俺の行きたい専門はだいたい目星がついていた。
姉ちゃんの卒業した専門の姉妹校に美容専門学校があり、兄弟割で入学金がかからなかったというのが大きな理由で
あとは家から通えるということなど。
そして11月15日の日曜日、体験入学に行くことにした。
・新しい世界
相変わらず体調は良かったり悪かったりを繰り返してた。
体験入学行ったときに体調悪くなったらどうしようと悩むこともあったけど、当日の朝は体調は安定していた。
その専門(以降F校と呼ぶ)へは自転車で50分ほど。
寒くなってきて冷たい風が顔に当たって痛くなる。
それでもバスや電車は使いたくなかったので必死にペダルを漕いだ。
F校に早めに着いたので、近くのコンビニでホットコーヒーを買って飲む。
自転車を漕いで暑くなってはいたがまだまだこれから冷える11月。コーヒーの温かさが身体にしみこむ気がした。
F校のロビーに入ると、大きいエントランスに社員証を首に下げた女性が2人、茶髪ベリーショートの男の人と金髪でゆるふわパーマをかけた女の人が迎えてくれた。
「米粒くんですね?お待ちしておりました」
と茶髪の先輩が頭を下げてくる。
眉毛も爪楊枝くらい細くキリッとしていて怖いイメージだったが、物腰は低く話しやすかった。
少し話したあと、エレベーターに乗ってとある部屋に案内された。
そこには教室くらいのスペースに規則的に置かれた長テーブルがあり、テーブルに美容室で見たことがあるマネキンウィッグがセットされていた。
「今日はワインディングっていうパーマをかけるやつをやるから!このウィッグをこれで濡らしてみて」
と霧吹きを渡された。
初めてだった俺は霧吹きをひとふきしただけで終わらせてしまい、
「ちょっとwこれじゃ巻けないよwもっと滴るくらいまで!」と先輩はまんべんなく霧吹きをかけた。
その後ロットの巻き方、輪ゴムの留め方を教わり、時間を忘れて練習した。
決してうまくできたわけなかったが、俺は楽しくて仕方なかった。
なぜなら高3になってから毎日が殆ど同じ授業の繰り返しになっていて、
さらに居残り、放課後課外、クラスのストレス
その嫌な学校を忘れられるうえに
新しいことがこんなに楽しいことなんだと実感したからだ。
その日の体験入学には俺ともう1人同い年と思える女の子が来ていて
女の子はゆるふわ先輩から教わっていた。
しばらくするとエントランスにパリっとしたスーツを着た30代くらいの男の人が入ってきた。
「今日は米粒くんと〇〇さんだね。」
と社員証をぶら下げた講師に確認している。
体験入学の後半はその男の人による校舎見学、進路の話し合いなどをして
最後はスタッフ全員が見送ってくれた。
高校の体験入学のときは生徒も多くそこまでしっかりした対応はあまりなかった為、
「専門ってマジですげえ!」
と。あのときの俺はきっと目がキラキラしていただろう。
・進路相談
そして進路の話し合いのときに俺は担当の人に親父から反対されていることを話した。
すると
「米粒くんの言う通り、自分の人生なんだから、ぶつかってみるのもいいと思うよ。」
と言われた。
文面だけではシンプルだが、当時まだ人生経験の少ない俺からすればとても勇気をもらった気がする言葉だった。
加えて特待生の話をされた。
「米粒くんは進学校だから、特待生試験を受けてみれば?うちは国語と英語の筆記試験で
授業料半額とかの人もいるから」
と。
家計に余裕が無かった俺にはこれほど嬉しい話はなかった。
親父の反対など忘れ、残りの11月は特待生試験へ向けて勉強していた。
幸い、11月後半までは比較的体調も良く
復活の兆しが見えていた。
そう、11月の後半までは‥。
続きます!
自暴自棄になった18歳の秋。
米粒です!
前回は記事の内容が違いましたが
今回は高校生のときに自律神経失調症になった話の続きをしようと思います
今、学生で自律神経失調症になっている人またはその家族の方、知り合いにいる方などに特に見て欲しい内容となっております。
ではいこう!
2009年11月3日、ちょうど10年前の今日。
俺は進路をめぐって親父から猛反対された。
俺は大学で学ぶ内容にやりたいことがなかったというだけで、勉強が嫌だったから辞めたということでは決してない。
しかし父親からは、
「もう勉強したくないのか!」
と怒られた。
たしかに親からすれば突拍子もなく進路変更をしたら驚くし、「何言っているんだ」ともなるだろう。
しかし当時18歳の俺は若く、
「なんでわかってくれないんだ、無理解だな」と思ってしまっていた。
それから次の日、起きても相変わらずの体調不良で昼休みくらいから学校行くかと思ったが結局丸一日休んでしまった。
頭の中はひたすら反対してくる父親への憎しみでいっぱいだった。
・11月8日の日曜日。
専門行きを反対されてから休んだり遅れて学校に行く日々を繰り返していた俺は、
「平日に学校に行かなければいけない」
という脅迫観念にかられていた。
それが解放される土日は最高だった。
同じ中学で高校は別になった地元の友達が
「米粒最近学校あんま行ってないみたいだけど大丈夫?」
と心配のメールをくれた。
そしてやりとりを繰り返しているうちに
「今度の日曜日、友達3人でカラオケいこうぜ!」とお誘いメールが来た。
そういえば9月に体調を崩して以来、休日もずっと病院だったから遊んでいなかった。
この地元の友達だったら素でいられるので、体調に一抹の不安はあったものの嬉しくて速攻でオッケーした。
日曜日、俺が待ち合わせのスーパーの駐輪場に着いたときに既に友達二人は来ていた。
待ち合わせ時間より前だったのに「おせえよw」
とツッコまれた。
遊びの内容はいつもだいたい同じで、
カラオケ、ボーリングまたは街に出かけたあと
友達の一人の家で遅くまでダベるというのがお決まりだった。
久々の遊びということでバカみたいにカラオケではしゃぎ、笑いあった。
この楽しさが永遠に続けばなあと思っていた。
・初めて学校が嫌になった
夜ご飯を友達の家でご馳走になり、恋愛や下ネタトークで夜まで盛り上がった。
ふと友達が
「明日から学校、行きたくねー」
と口にした。
そのときに俺は我に帰ったようにハッとして
いつもの重苦しい学校の閉鎖空間を想像してしまった。
正直、アウェイなクラスに入った4月、
そして男子にハブられた夏休み。
メールしなくなって気まずくなった高嶺の花子さん。
クラスに居場所が無く、1秒でも早く出たかった。
友達の家を出て家に帰るまでに気分はかなり落ち込んでしまった。
受験やクラスになじめないなどで悩んでいる人は山ほどいる。
しかし俺は当時、
「なんで俺だけこんなしんどい目に遭わなきゃいけないんだろう」
て思ってしまっていた。
小中高と学校が好きで体調を崩すまでほぼ皆勤だった俺が初めて学校に行きたくないと思った瞬間でもあった。
そして11月も遅れながら、たまに休みながら学校に通っていた。
今だったら辞めて別のところに行けば良かったと思うだろう。
しかし当時は学校が全てであり、行きたくない学校に通うのは相当な苦痛だった。
学校に嫌々行けばストレスがかかり、
かといって休んで家にいると親から怒られる‥
小学生のときに体験した、
入り口も出口もわからない「暗闇迷路」の中で手探りをしているような状態だった。
今回はここで切ります
次回は美容専門学校に体験入学に行ったお話をしたいと思います!
観ていただいてありがとうございました!